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やぶにらみ論法「老人力」(112) 堀田義夫   

  やぶにらみ論法「老人力」(112)   

 「古希の子を 叱り飛ばして 母卒寿」という川柳が新聞に載っていた。人生百年、長寿社会といわれるがうまいところをついているなーと感心した。

 当デジタル研究会も創立20年を迎えようとしている。組織の運営はこの川柳にある古希に近い人たちが中心だ。卒寿を超えている渡邊澄晴先生、本山栄子さん、石渡保弘さん、それに近い曽我知克さんといった人たちの「老人力」は前出の川柳そのもので、凄い。

 そうした老人力に感心する反面、今年頂いた年賀状の中に歳を取りネガティブに「古希をむかえたので来年から年賀状をやめることにした」というのが何通かあった。

 まだ私が現役の頃、社内における年末年始の虚礼廃止をせよといった通達があった、その通達を忠実に守ったら、とんだパワーハラスメントを被ったことを覚えている。

 ある酒の席で上司が「○○君は盆暮れの挨拶はきちんとやる、年賀状も必ずくれる。日ごろ世話になっていることを感謝している証拠だ、それに比べるとキミは違う、他人の気持ちを推し量って行動しない。気をつけるんだな!」という小言を食った。

 考えれば年賀状を交換するといった慣習は、日本特有の文化であり風情・情緒を好む国民性が根強く慣習とされているんだろ。

 上司からの小言を今思うと「忖度」すなわち他人の気持ちを推し量ろうとしなければ、生き方としては損をするといった教訓だったように受け取れる。

 書家であり、宗教家でもあり、詩人だった相田みつをさんの作品に

 「人の世の幸せは 人と人とが逢うことから始まる 良き出逢いを」という作品がある。

 年賀状はそうしたときに大変便利なツールだ。

 ところが、加齢のため年賀状をやめたいという人は、自分からその便利なツール(道具)を投げ捨てて、自分勝手にのんびり過ごしたいというのかも知れないが如何なものかと心配する。

 そうした人は、今の自分は自分自身が築いてきたと思っているかも知れないがそれは思い上がりで、錯覚でしかない。

 人は生きていくためにどれだけ人の力を借りなければ生きられないかを知れば、手抜きをした生き様は避けるべきだろう。

 だが、人の思いはいろいろだから、孤独を愛し、静かに余生を楽しむと言うことがあってもいい。

 だが、確信犯的に人との出逢いのチャンスを自ら拒み、孤独ではなく孤立を招くようは行為は如何なものか。こうしたネガティブな考え方の人との無駄な付き合いはごめん被りたい、そう思って直ちに人名簿からその人の名前を抹消した。

 「駅伝の見物人が 励まされ」という川柳があった。

 本来駅伝を見て選手を応援するつもりだったのに、実際その場に来てレースから感じたことは、倒れそうになりながらタスキをつなごうとする選手の懸命な姿に、逆に元気づけられたというのである。

 それと同じで私も、毎月のデジ研の研究会に出席して、仲間から、多くのことを学んでいる。そうした機会を持てること、仲間たちに支えられ、励まされ、元気づけられていることに深く感謝している。

 人生の幕引きはアスリートの場合、体力・気力の減退といったことから周囲の目が引き際を決めるが、アーチストに引退はない! 立ち枯れてぶっ倒れるまで意地を張って、前進しながら終わりたい! 

そんな老人でありたい。と思っている。

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by yumehaitatu | 2019-03-02 16:00 | やぶにらみ | Comments(0)