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写真は売れる(97)      堀田義夫   

写真は売れる(97)          堀田義夫
 最近経験したことだが、東北大震災支援チャリティー展・熊本地震義援チャリティー展などに出品を要請されたので仲間たちに呼びかけて協力することにした。
 そのとき感じたことは、仲間たちの「写真なんかどうせ売れっこない!」という反応だった。だが、参加しての結果から、“写真は売れる” ということを確信した。
 具体的には、5月に開かれた「手工芸作家協会」主催のチャリティー展(慈善金集め)では、私が出品した10点の作品の内9点が売れた。
 もちろん買ってもらった中には趣味の仲間や知人が義理で買ってくれたこともあるが、皆さんの善意に頼るのがチャリティーなら、義理だろうが、迷惑をかけようが、それも許されると思っている。
 そうした仲間や知人たちの応援を得て、個人としての売り上げでは一番多かったと会長さんから感謝された。ちなみに私が出品したのは“堀田義夫「繪写真の世界」”の版画のカテゴリーの作品だ。
 ところで、こうした展覧会は作品の売値の上限値が決められていることが多い。そうしたとき私は上限に近い値をつける。「写真なんか売れない!」ということが世間の常識なのかも知れないが、私は写真じゃなくて作品を出品している。だから良ければ買い手は現れると思っているからだ。
 6月に行われた画廊主催のチャリティー展ではオーナーから「いくらにしますか?」と聞かれて、「いくらでも良いよ」と言ってきたという仲間がいた。
私はそれは違うんじゃないと思う。自分がチャリティーの趣意に賛同して参加したのなら、自分の自信作?を提供するだろう。それをゴミ扱いとまでは言わないが,「いくらでもいい」なんていうのはおかしい。作品が可哀そうだ。
堂々と作品に見合う値段(上限値は決められているからそれを勘案して)をつけるべきだと思っている。
 会期中にそのチャリティー展を開催している画廊に立ち寄った。オーナーがお客さんと作品の前で話し合っているところだった。私の顔を見たオーナーが「あら、先生丁度良かった、このお客さんがとても気に入った作品だといって私にいろいろ聞くんだけど、私写真のことがよくわかんないんで困っていたの」そしてお客に向かって「作家の先生です。この人に聞いてください」といってお客さんの前から離れた。
 そのお客さんは「気に入った作品と作家さんに会えたのも何かの縁、買わせてください」と商談成立。 オーナーは、こんなに写真が売れるとはいままで思っても見なかった。といって驚いていたが、デジ研から出品した3人の4点の作品は2日目にはすべて売れきれてしまった。
 写真をやっている人たちが「写真なんか売れっこない」と思っているのは錯覚でしかないのです。もし、売れないとすれば、それは既視感のある「なぞり写真」だからだ。買ってくれたお客さんの反応は「これ写真なの?」と異口同音に驚いていた。その理由は、いままで自分が持っていた写真の概念と違った、写真の別の顔に気付かされたことが作品を手元に置いておきたいという気を起こさせるのである。
 今回の夢配展でも、小閒さん・曽我さんの作品に関心が持たれて商談が進展していると聞く。斬新な作品なら、手に入れたいと思う人は必ずいる。そうしたことを感じた。
潮騒の町
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by yumehaitatu | 2016-09-03 17:33 | やぶにらみ | Comments(0)

堀田義夫の「やぶにらみ論法」 (96) 川柳に学ぶ    

 堀田義夫の「やぶにらみ論法」 (96)  

川柳に学ぶ 

 もうすぐ「夢配」が始まる。展覧会に出品するからには、「この人は過去と今年の作品ではどう進化しているのか、あるいは、どんなメッセージを発信しようとしているのか」という期待があるだろう。そんな思いが頭をかすめると、いい加減な作品は作れない。

 だからといって見る人を意識するあまり、鑑賞者に媚びた作品を創ろうというつもりはない。趣味・道楽は人のためにやるもんじゃなくて、自分の人生を豊かにしたいからだ。

 「夢配」の、フォト575には残念だか作品ができなかった。そこで気になる句を並べた。

“年とって 飲み込み悪い 喉と脳” は確実に進行中で、新しいことや食事が思うように飲み込めない現実に直面している。その575でいろいろ思いを巡らすと、

“生きざまは みんな違って 趣味の友” という川柳は、シニアの世界では過去に生きてきた知的財産を豊富にお持ちの人がいる。そうした人たちとの出逢いに感謝する句だ。

“年齢の 重ね方にも うまい下手” という句もある。趣味を持つ人と、一日中テレビを見て、暇をもてあそんでいる人では、大きな違いだ。趣味は人生を豊かにしてくれる。

“おやつほど 薬飲まされ カラ元氣” 透析で週三回病院に通い、食前食後に飲む薬の量に驚かされる。それでも写真を楽しんでいる仲間もいる。凄い生きざまと見習っている

“医薬より 元氣にさせる 褒め言葉” といった川柳もあったが、展覧会やグループの例会などで作品を発表した時の気持ちを詠っているようだ。私なども「お年に似合わず、作品はお若いですね」などといわれようものなら舞い上がってしまう。

“常識を 脇においとく 好奇心” など、私の作画姿勢に通じて好きな川柳だ。こうしたらいけないんじゃないか? 人がなんていうだろう? なんて考えなくていい。

“人間の 五感錆び付く IT化” インフォメーションテクノロジーが浸透し,感性の豊かな作品にお目にかかり難くなってきた。手段が目的になっている作品が多い。

“定年後 話し相手は 妻と医者” というのがある。 年をとってから一番の敵は、人と話し合う機会が減ることだろう。人と話し合うとき、脳は緊張し交戦状態になる。言い負かされないようにいろいろ思考をめぐらす。そうしたことによってボケを遅らせる効用があると私は思う。そうした意味では、

“輪の中の 笑顔に写真 やめられず” といった心境だ。そうした中でも気を遣っていることがある。

それは人様の作品から学ばされるているという自覚だ。

“前例が ないと新芽を 摘み取られ” といったことを警戒する。パスカルが言った「人は自分が理解できないものは、何でも否定したがる」 と。指導者側は新しい芽を見つけ、育てることが大事。

“どこ見ても 女ばかりの コミュニティー” ある美術団体の総会に出席したら、ひな壇に並んだ人は会長を除きみんな女性だった。改めて、女のパワーを知らされた。デジ研も女性の力をもっと活用したらどうだろう。

“ご高説 止めた子供の 大あくび”   あくびの出ないうちに筆を置くことにする。
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by yumehaitatu | 2016-07-02 16:51 | やぶにらみ | Comments(0)

堀田義夫の「やぶにらみ論法」(95)   

堀田義夫の「やぶにらみ論法」(95)

【生き甲斐を見つける】

 329日のデジタルフォト研究会の「上野」の撮影会に参加した。絶好の撮影日和に恵まれて多くの会員が集まって盛大な撮影会になった。参加者の多くは動物園に向かったが、私は西垣・大嶋・渡利さんたちと科学博物館から芸大・谷中などを彷徨して撮影を楽しんだ。

 谷中の街中で塗装工場の入り口に奇妙は人形を見かけた。「撮影して良いですか?」と尋ねたら、「アァ良いよ!」と気さくな返事か返ってきた。

 私が撮影している間、ご主人はじっとそばに立ってみていた。そして私に問いかけてきた。「こんなものを写してなにが面白いんだい?」。この質問には正直返答に困った。

 そこで、「なんで、こんなものを作ったんですか」と逆に質問してみた。

 工場長だというその男の人が話したことは、「数年前に東北に大震災があっただろう。そのとき、生きているうちは、何が起こるか解らないもんだと思ったが、時が経つにつれてその記憶は薄らいでしまった。だが、よく考えると、生きるためにいろいろと普段から要心しなければといったことが意識の中に刻み込まれたんだろうね。

 もともと何かコツコツ作ることが好きだったんで、いろんなものを作っているうちに気がついたら、こんなものができちゃったんだよ。だから、何で作ったかと聞かれても理由なんかないよ」とにこやかに話していた。

 

 仲間の一人が、この作品は胸の辺を見ると女性なんですよね。と問いかけたら、「そんなことは、どうでもいいんだ。アートは、説明のために作るんじゃないから… 本当はこんな筈じゃない!といったことが織り込まれていなければ、人の関心を引くことは難しんじゃないの」と、全く意に介していない。

 そして言葉を続けた。

 人は生きているうちは意気甲斐を求めるもんだ。僕は生き甲斐ということを6つに分類している。といいながら、

第一は、生きる悦びや満足感を得るために、自分は何が好きなのかを知ることだ。

第二は、世間様の役に立つことによって,生き甲斐とする人間でありたい。

第三は、生活に活力、張り合いを持つためには、健康管理に気を配る、条件付き健康でも良い。

第四は、自分を向上させる、レベルを上げるために,人間関係・人脈を確保することに努める。

第五は、安らいだり、気晴らしできる趣味を持つ。そうした心の余裕が大切。

第六は、生きる目標や目的をしっかり持つことだ。テレビと睨めっこしていてはダメ!

 こうした生き甲斐を持つ人と、持たない人とでは大違いだ。親子ぐらい年の違うおじさんに偉そうなことをいってゴメンね。おじさんも頑張りなさい!と励まされた。心に残る撮影会だった。

             「変な人形」
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by yumehaitatu | 2016-05-07 15:02 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法(94)  100点仕事と60点仕事   

100点仕事と60点仕事(94 2016/02/08

今年の抱負に、「生きているうちに 働けるうちに 日が暮れぬうちに」という相田みつをさんの詩を掲げた。

川柳に 「年老いて 飲み込み悪い 喉と脳」 というのがあったが、年を重ねるごとに,やらなければならない仕事を先送りにしてきたと感じたからだ。

 思いついたこと、やらなければならないことも若い頃に比べると、失敗しないように、人から認められるようにと思う途端に、だんだん臆病になってきた。

 ところがこの考えは誤りであることに気付いた。それは仕事はすべて100点を取らなければダメ!という妄想を持っていたからである。

 60点でも良い、その60点をたたき台に、残り40点は他人との議論を進めながら埋めていく、いわゆる他力本願の気持ちでやるんだと余裕を持った方がよいと気づいた。

 こうした考えをわたしの主宰する写真団体瓢蟲社の柱として「意見は言うべし、決定には従うべし」と織り込み済みと自分では思っていたが、実行がともなっていなかったと思った。

 人が議論をするとき、脳は交戦状態になる。このことは若さを保ち、少しでも惚けを遅らせる最も有効な方法であると思っているから大いに歓迎したいのだが、戦前の教育を受けた私らは、聖徳太子の「和をもって貴し」と教えられ、他人と協調する、仲良くすることを美徳と教育されてきた。だから無闇に人と言い争わないことを心がけた。

 ところが敗戦後はそうした風潮は影を潜めて、欧米風に自己主張の風潮が定着し「徹底的に議論を戦わすことによって、良い結論が得られる」といった考えが定着した。そして私もその考えに従い主宰する写真団体瓢蟲社の活動に、その思想を取り込んだのである。

 だが、実際に「よりよい意見」をぶっけられても、「俺の意見を否定しゃがって!」 と、憤りを感じるのが一般的な人間の反応だ。そのため議論は脳を交戦状態にすると前述したのである。

 議論などというものは、口の達者な声の大きい人が、その場を制圧する。だから私は「徹底的に議論をすれば,良い結果が生まれる」とは、単純に思っていない。

 議論慣れした人なら、自分の考えのどこが間違っているかに気付き、考え方を変えることができるが、どうも日本人は議論下手が多い。また、自分の意見は間違ったと気づいても修正したがらない。それは自分の考えは間違っていない! と100点満点の評価を期待するからだろう。

 ところが最近目にした書物に「一流の店長ほど休みを多く取る」ということが紹介されていた。内容は、自分でする仕事と、他人に任せる仕事を上手に仕分けるから、結果としてすべてを自分でやらなくても、スムーズに権限委譲ができて、チームワークがよくなり業績を上げることができた。すなわち60%の仕事しかしなくてすむ。と

 ところが真面目な人や向上心の高い人ほど、何でも自分でやらないと気が済まない。「自分がやった方が早い」と、100点満点を目標にする。しかし、こうした人には後継者は育てられないと思うのだ。

 本研究会の2016年度の総会で、活動内容の説明を聞きながら、この「一流の店長」の姿がオーバーラップした。これからも一流店長はじめ一流役員さんによろしくご教導願いたいと思った次第である。
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by yumehaitatu | 2016-03-05 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

堀田義夫のやぶにらみ論法 賞味期限 (93)   

堀田義夫のやぶにらみ論法 賞味期限 (93)

 新しい年を迎える度に、今年は、今年こそ!と思うが、今年はチョット違う。

 新年早々に似合う話題でないが、昨年12月に60年来の写友が他界した。大腿骨を骨折して入院したとは聞いていた。しかし無事退院することになり家族が呼ばれて、退院後のリハビリのメニューや介護要領を医師の説明を受けて、退院手続きを済ませたという。

 そのあといったん自宅に戻った家族に、病院からすぐ来るように連絡が入り、駆けつけると病人は既に意識不明だったという。そしてまもなく息を引き取った。死亡診断書には肺炎と書かれていたと言うのである。人生は一寸先は闇と言うが、まさにその通りだ。

 アマチュア写真界では要職を経てきた人なので、葬儀には写真関係者が大勢参列するかと思っていたがその期待は裏切られた。それはここ10数年、作家として目立った制作がなかったからなのかも知れない。そして考えた。

 卑近な例だが、渡邊澄晴先生は私より三歳年上だ。だから私は無意識のうちに渡邊先生を目標に、3年くらい先までの人生設計をしていた。また、先日富岡畦草先生に出逢ったら,「僕は90歳になったよ、あなたは大病されたので、どうかと案じていたが、元気な姿や、活動しているご様子から百歳まで大丈夫!」と励まされた。

 そうした周辺環境から,勝手に生まれてから死に至るまでの時間軸の中で、いま自分の佇んでいる位置がどこ? なんて思うのは、冒頭に書いた写友の死に直面して、傲慢だと気付かされた。このあと1分・1時間先のことだって解らないからだ。

 そうしたときに脳裏を横切ったのが、「明日死ぬかのように生きろ! 永遠に生きるかのように学べ!」というマハトマ・ガンジーや、「生きているうちに 働けるうちに 日が暮れぬうちに」と詠った相田みつをさん、「人間いつかは終わりが来る 前進しながら終わるんだ!」という坂村真民さん等の詩が思い起こされた。

 そうした折に、私の主宰する写真集団が毎年行っている一泊二日の忘年会を兼ねた撮影会でそうしたことが話題になった。

 明日は死んでも悔いを残さないように真剣に生きよう。もう歳だから今更……といった気持ちを持つのはやめて、未来永劫に生きられると思って学ぶ姿勢を!と誓い合った。

 あるいは、生きているからには,あそこが悪い、ここがダメ、といった言い訳を作らない。世の中には目が見えない、耳の聞こえない、あるいは手足が自由にならない人だっている、その人比べれば、写真という趣味を楽しめることに感謝しようと、両手足の自由を奪われた星野富弘・美術館に立ち寄り、凄い精神力で生みだされた作品に触れてきた。

 加齢と共に、何事をやるにも億劫になるが、人間いつかは終わりが来る 前進しながら終わるといった気持ちで、賞味期限切れにならない人生を送る努力をしようと誓い合った。
「戯れ」
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by yumehaitatu | 2016-01-09 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法 「パクリの勧め」 (92号) 堀田義夫   

やぶにらみ論法 「パクリの勧め」 92号)

最近のニュースで気になる出来事があった。それは2020年に開催される東京オリンピックに使われる予定だったエンブレムがパクリ(模倣・剽窃)という疑念を持たれて、白紙撤回されたことである。

 佐野某というクリエーターはテレビ局のインタビューに「わたしはアーチストとして、いままで一度もパクリなどやったことはない!」とコメントをしていた。それを聞いてわたしは、この人はバカか?と思った。

 わたし自身、作品を作るとき、無意識のうちに既視感(いつかどこかで見た)が働く。人間の持っている感覚、知性、といったものは生まれたときからあるのではなく、伝統から学んで身につけたものの筈だ。

 だから、ものを作り出すと言うことは厳密な意味では、模倣を前提に進化や変貌を遂げてきたと思っている。

 パブロ・ピカソですら「芸術に進化はない。あるとすれば、バリエーションである」と言って、自身の作品の変遷には、周辺の作家たちから影響を受けたと認めている。

 それに関わるエピソードとして、モンパルナスの丘をピカソが散歩する時間になると、多くの画廊が店のシャッターを下ろしてしまうのだそうだ。

 理由は、画廊主が有能な作家を育て店に飾ってある作品を、ピカソには見せたくないからだ。なぜなら店に飾った新人の作品をヒントに、ピカソが一歩先の作品に仕上げて発表されたらそれまでの苦労が水の泡になってしまうからだというのである。

 世界的な版画家であり、芥川賞作家でもある池田満寿夫氏は、「すべての創造は模倣から出発する。その創造のための模倣が、創造的模倣でなければならない」と言い、優れた芸術家の仕事はその盗み方に創造の秘訣、あるいは独創性が隠されている。すなわち、天才は天才的に模倣し、剽窃すると言っているのだ。

 情報社会が進化したいまでは、隠されていたいことまで瞬く間に発掘されてしまう。その点では、佐野某氏は、模倣の手法が幼稚すぎたとわたしは思う。

 わたしの旧著「写真三昧50年」に、模倣万歳という一項を載せているが、「文化」というものは、物まねを通じて受け継がれていくものだ。その段階で、独創性を開花させればいいと書いている。

だが、ここで視点を変えて考えてみると、自分の頭の中で想いあぐんでいて、そのアイデアが固まらないうちに、完全ではないにしろ自分のアイデアと同類のことを一足先にやられたときは、がっかりする。

 あるいは同じようなことを両方で知らないうちにやっていたという場合もある。自分がやりつつある計画やスタイルを、後ろから走ってきて、こちらの計画を土台にして新しく発展させてしまう場合もある。模倣され、盗まれたときの苛立ちは図りきれないものがあろう。そうしたねたみや恨みが、訴訟問題に発展してしまったとも言える。

 だが、藤田嗣治は自伝の中で、ピカソが自分の作品の前に30分も立ち止まっていた、彼は自分から盗んだと、反対に盗まれる喜びの声を上げている。そうした寛容さはあっていいと思うのである。

いろいろの考え方があるだろうが、わたしはパクリを勧め、自分でも積極的に実践している。
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by yumehaitatu | 2015-11-07 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

堀田義夫のやぶにらみ論法91   

やぶにらみ論法 「○○権への疑問」 (91号) 2015/08/04
 近ごろは肖像権やら著作権とか騒がれるので写真が撮りにくい。もう10数年前の話だが、撮影会で新開発された海老名の駅周辺を写そうと訪れた。新装なった商店街でカメラを構えていたら、警備員が飛んできて「撮影はだめだ!」というのである。そんで何でダメなのか聞いたら、店のショーウインドーが写るからだというのである。
 なるほど、ショーウインドーはデザイナーの作品でもあるので、著作権があるのかも知れない。そこで私は、「新しくなった海老名の町を写しにきた。都市の時代と共に移り変わる様子を記録しているのだ。もし写真に写っていけない店があるなら、ブルーシートかシャッターで目隠ししてくれ!」と頼んだ。警備員はすごすごと立ち去った。
 また、観音崎に撮影に行ったときのことである。汀に幼児の履き物が散乱していた。察するに幼稚園の遠足なんだろうと思いながら、その情景を撮影していた。
 そこに先生に引率されて園児たちが帰って来た。先生は園児を並べて記念写真を撮り始めた。その情景にカメラを向けた途端。別の先生が飛んできて、「写してはダメです! 」と黄色い声で叫ばれた。
 理由を聞くと、肖像権が犯されるからだというのである。そこで私は言いました。「我々は脱ぎ捨てられた履き物に興味があって撮影していた。そこにあなた方が帰ってきて、並んで写真を撮り始めたんじゃないか。ここはあなた方が借り切っているプライベートビーチじゃないんだから、そんなところに並んじゃダメと、怒鳴りたいのはこっちなんだ」と。若い女の先生は不満そうな顔付きではあったが黙ってしまった。
 知り合いが、あるコンテストに写真を投稿したら入賞して、新聞に掲載された。本人は喜んでいたのも束の間、数日後にあるところから電話がかかってきて、「俺の店と看板が写っている。挨拶があっていいだろう」と凄まれたというのです。
 きっとコンテストで賞金をたんまりせしめたんだろうから、そのわけ前をよこせという魂胆だったんだろう。
こうなるともう「たかりの権利」を主張されているようなものである。
 写真は特別なものではない、目に見えたものは写るんです。ディスプレーの意匠を盗用する目的で撮影する、あるいは、誘拐目的で幼児を写した、または、その店を陥れるために撮った。ということでなければ、仮に裁判沙汰になっても負けることはありません。堂々と写真を写しましょうよ。
最初に撮った写真
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肖像権を侵したと叫ばれた写真
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by yumehaitatu | 2015-09-05 17:04 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法(90) 「気づきを体感」 堀田義夫   

やぶにらみ論法 「気づきを体感」

  最近、ある市民展の審査を依頼され、表彰式にも出席した。そしていろいろのことに気付かされた。

 審査が始まる前に主宰側から、「市民展なので、専門的な技能を駆使した作品が有利だという印象を与えない配慮がほしい」という要望を聞かされた。

 そうした要望の意味がよくわからないので、「どういうことか」質問したら、「過度にレタッチした作品」は受賞の対象から外してほしいというのだ。一般的な公募展と違って市民中心の文化活動なので、高度な芸術性より、市民が親しめるものであって欲しいという思いからなのだろう、理解できなくもないが、一般的には気付かないことだった。

 公開審査なので、関係者以外にも多くのギャラリーがいた。これも気がつかなかったことだが、相方の審査員と共に、つぶやきながら 審査が終わって入賞作品が決定した。

 表彰式後の懇親会で、役員の一人が「先生がきれいだなー」といっていたので、もう少し上位の賞に入るのかと思っていたが、チョットがっかりしました」と愚痴られた。

 また、「審査中に先生が、何度もわたしの作品の前に足を止めるので、もしかしたら…と期待していましたが、入賞できて嬉い」といっていた人もいた。

 中には、絶対だと思っていたのに、最終段階で、「先生が、よく撮れているが、そのまんまだなー」といわれて上位入賞にならなかったのは、残念!と嘆いていた人もいた。気付かないとはいえ、不用意な発言だったと反省する。

 私が「きれいだなー」といったのは、撮影という技術的なことが要求されたフィルム時代の価値観で、ピントがよい、露出が合っている、色がきれいだ。といったことはデジタル化したカメラや周辺機器の進化で、いまではきれいな写真はフォーマット化され、誰でも写るようになっている。だから、いままでと違って、 技術比べの評価価値は低下せざるを得ないとわたしは考えていたから言ったのである。。

 また、「いい作品だが、チョット弱いネー」 と思ったことを口にしたら、立ち会いの役員の人から「弱いネー」というのはどういう意味ですか?という質問も受けた。

 作品を審査するということは、他の作品と比較して決めるので、沢山の作品の中から、審査員の心をつかむのは最初の印象が大きい。経験的な観点からいえば、二秒か三秒といった瞬時のうちに、いいか悪いかを判断しているのである。そうした印象が脳裏に刷り込まれてしまう。そのためには、他の作品との違いを印象づけることが重要だ。だから私は、周辺の写真仲間に「写真三秒説」という持論をしゃべり、「ナンバーワンを競い合うのではなく、他の作品とは違うオンリーワンの作品」を作ることに努力すべきだと言い続けてきた。

 「写真になりそうな場面に出会ってシャッターを切っただけ」といった写真は、その場の状況は判るが、作者の感動が読めない。そうしたものは、写真ではあっても作品とはいわない。

 知り合いの写真家に、「作品から作者のメッセージが聞こえるか! 感動が伝わってくるか? それがなければゴミだ!」 といった男がいる。私も作品の評価をそこに置いていることを実行したり話をしたりしていた。後になって考えれば、選者の立場と出品者の感想などから、気づくことの難しさを体感した。
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by yumehaitatu | 2015-07-04 18:00 | やぶにらみ | Comments(0)

堀田義夫の「やぶにらみ論法」(89) 師を想う   

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 写真に興味を持ったのが1948年(昭和23年)、町のDP屋(写真の現像・焼き付けをするお店)に出入りする人たちが集まった同好会に入会した。本格的に写真をやろうと思ったのは1953年(昭和28)瓢蟲社の発足からです。

 1957年(昭和32)東京写真研究会に入会して、赤穂英一先生を知った。振り返ると、いま私の作画の根本的な姿勢は、この先生との出逢いで目覚めたといえます。ありがたい存在でした。

 東京写真研究会というのは、明治40年に創設された日本で現存する最古の写真団体です。この団体は明治37年、前身のゆふづつ社からピグメント印画による作風を指向するアマチュア育成を目的に作画研究団体として創立されました。はじめから趣味の写真というか、写真を楽しむという風潮がありました。

 赤穂先生は、1981(昭和56)に吉川富三先生の後を継いで、東京写真研究会の会長に就任されました。日本のピクトリアリズム巨匠・高山正隆の従兄弟、歌舞伎の市川猿翁の義弟です。

 その先生から、アマチュアリズムの精神論をいつも聞かされて、学んできました。そうした中で、いまでも心に残る教えがあります。

【赤穂語録】

* リアリズム写真は、報道写真家でもなければアマチュアには難しい。素材さえよければ、それが 写真になるなんて考えでやっている写真は、リアリズムとはちがう。

* 写真は、向こうにあるものを撮るより、自分の気持ちの中にあるものを向こうの力を借りて表現する。

* 写真を“写す”というよりも写真を“作る”という感じで、自分の持っている内面的なものを表現する工夫を考える。

 写真評論家の岡井耀毅氏の「日本列島写真人評伝」によれば、1947(昭和22)焼け野原だった銀座の赤穂邸に集まってきた当時の銀竜社同人25名は次のメンバーである。

 秋山庄太郎・林忠彦・桑原甲子雄・田村栄・秋山青磁・赤穂英一・三瀬幸一・笹本恒子・菊池俊吉・樋口進亮・樋口忠男・緑川洋一・田辺良雄・安藤勝・伊東祥博・織田浩・植田正治・藤川敏行・石井幸之助・佐伯啓三郎・滝沢修・後藤鍾吉・石津良介・清水武甲・中村立行。

 田中雅夫・亀倉雄策らもやってきた。3年後の昭和28年、林忠彦・秋山庄太郎らを中核とする、二科会写真部の創立、樋口進亮を中心に「日本カメラ」が創刊された。と記述しています。

 

 赤穂先生は、あくまでも写真を美学の境地まで高めていく遊び心の写真化こそが、最もアマチュアリズムの本質と考えていたと思うのです。その教えはいまでも私の心の中に生き続けています。
  【赤穂先生 撮影1968年掘田義夫】
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by yumehaitatu | 2015-05-02 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法88 普通に生きろ 堀田義夫   

やぶにらみ論法    普通に生きろ      堀田 義夫

昨年他界した著名な人の中に、米倉斉加年さんという俳優がいる。あるときのインタビューで、彼は師匠だった宇野重吉さんから常々教えられたことは、【普通に生きろ】ということだったと語っていた。

 【普通】というのは、普通人・普通郵便・普通課程・・普通自動車etcといったように特別ではない。

 私は展覧会を見に行って、批評じみたことや、先輩面をしてものをいうことをしない。そして会場を後にするときは、“大変勉強になりました。ありがとうございました”と言って辞することにしていた。仮に自分で思うことがあっても、相手に不愉快な思いをさせることもないからだ。

 だが、考えてみるとこれは普通じゃなくて、問題を回避する方便であり、自分をよい子に仕立て、嫌われることは避けようという気持ちが働くからだろう。

 過日、写真の仲間たちとの会合で、参加者の一人が、45年前頃、カメラ雑誌に寄稿していた私の表現手法についての技法解説や作品が掲載されている雑誌を持ってきて、話題にされた。

 それを見た別の人が、この頃の作品はいい。だが、いまの作品はあまりよくない。なぜなら、フォトショップの機能に振り回されている感が強い。レタッチのテクニックで出逢った効果に依存しすぎているからだ。と手厳しかった。

 私自身が表現技術の未熟さから、フォトショップの機能の呪縛から逃れ切れず、技法がイメージに先行して、そうした印象を与えているのであろう。

 イメージに技法が従属することが好ましいのだが、残念ながら、力及ばないところを見抜かれて指摘を受けたと思い、ありがたい指摘だと受け止めた。

 人は当たり前のことを当たり前に言わないで、とかく相手にとって聞き心地のいいことだけを話したがる。だが、この人は【普通】のことをいっているのである。前出の「大変勉強になりました。ありがとうございます」と言って辞する私の態度は欺瞞に満ちたものだと大いに反省させられた。

 だが、そこに同席していた人たちからは、「あいつは生意気な奴!!」と顰蹙を買う羽目になって、【普通】に生きるということには、かなり度胸がいることだと思った。

 このことは普通に生きることの1例に過ぎない。私は食事の時の飲み込みの悪さ、痛み、食後の腹痛などで苦しんでいる。だから俺は病人なんだと思うのだが、いまの俺にとってそれが普通なんだと思うようにすれば毎日経験するこの苦しみから解放される。

 声は出る、耳は聞こえる、目は見える、歩くことだってできる、そうしたことができない人だっていることを思えば、現状を【普通】と考え感謝しなければならないと思うのだ。

 先月、仲間たち8人で秋田・靑森に34日の撮影に行った。食事は普通の人の3分の1

くらいしか食べられないのに、撮影時の歩行数では1番か2番目という快挙で仲間たちを驚かせた。カメラを持ったら【普通】になれることを実感している。

 宇野重吉さんが、愛弟子の米倉斉加年さんに伝えた【普通に生きろ】という教えの深さを改めて実感し、これからも【普通】を心がけて実行したいと考えている。

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by yumehaitatu | 2015-03-07 21:55 | やぶにらみ