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やぶにらみ論法107【写真を読む】 堀田義夫   

今日(415)の新聞の文芸欄に、【春光を弾きてヨット向き変える】という高張一司さんの俳句が載っていた。高張さんの友人で、写真家でもあり俳人でもある浅井愼平さんから、高張さんはカメラをもらって写真を始めたという話を前に伺っていた。

当会の分科会「フォト575」では大木伊都子さんとともに指導的立場で活躍されている。この二人の作品は独特な洗練された感性で制作され、大いに啓発され学ばせられる。私は俳句に造詣があるわけではないが、常々その短詩系文学の表現と写真の表現が似ている気がしている。直接的ではなく比喩的表現という点が似ていると思うのです。

同氏の別の作品に【泣かした子あやす天狗や秋祭り】という傑作がある。天狗の面をかぶった男が可愛らしい子供の頭をさすったか、あやすつもりで顔を近づけたのか?。怖さにおびえた子供が大泣きをしてしまい、天狗様が慌てふためいている情景を思い起こさせる。このように作者のメッセージが明確に伝えられれば読む人の心をつかむ。

午後、知人から「○○クラブ写真展」の案内がきていたのを思いだし出かけた。会場を一巡していると、知り合いの著名な写真家に出会い、しばらく立ち話をしたのだが、【そこに行ってきました!そこを撮ってきました!】という作品ばかりで何で撮ったかのメッセージが聞こえてこない面白くない展覧会だという感想を聞かされた。

かつて【作者のメッセージが聞こえない写真はゴミだ!】と切って捨てた有名な写真家の言葉を思い起こした。

ところが私にとって写真展は学びの場なのです。

発表された作品のモチーフやテーマ、コンセプトといった切り口を読み、剽窃や気づきのヒントを得るために行くのです。

その展覧会が前出の著名な写真家がいうメッセージが聞こえない面白くない展覧会だとしても、それはそれでいいと思っている。頼まれもしないのに余計な意見や講評を言う義理もないし、つまらないと思ったら無視すればいいだけの話だから…。

いま私が主宰する写真団体の趣意は【①教師なし先輩あり、教育なし研究あり。②来るもの拒まず、去る者追わず。③意見は言うべし、決定には従うべし。】としています。

写真が好きだから撮っていて、写真の表現形式は自由だから型どおりでない、それぞれがそれぞれの方法で撮っている写真を持ち寄って、見せ合い、語り合って展覧会を開いたり写真集をまとめていくという手法をとっている。そして創立から65年が経ちました。

この趣意の遵守はいまでも間違いではないと確信して実行しています。

写真展や写真集を見て、うまい撮り方をするための作例写真という見方しかできないというのは何とも情けない。作品を見てなにを感じ、なにを読み取るのか、といったことが抜け落ちていたら、写真は薄っぺらなただの画像です。私たちは、そうした作品の発しているメッセージを読むことを学んでいます。

            <守られて>

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by yumehaitatu | 2018-05-05 07:23 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法106 「プロ失格」   


やぶにらみ論法 「プロ失格」
  

 30代も前半の頃の話だが、「堀田君という男の作品を数年見ているが、写真で飯を食おうという気持ちはないのかね」とあるスタジオの社長が私の師匠に聞いたそうです。

 その師匠が「君にその気があるなら話してあげようか」というので、二つ返事でお願いしてしまった。

 紹介状を手に乃木坂にあったそのスタジオに行き社長にお目にかかった。緊張している私に社長は気さくにいろいろ話をしながら、「君、このスタジオの中の機材を自由に使っていいからこれを撮ってみてくれ」と一升瓶を持ってきた。キッコーマンという醤油瓶だった。これは俺の実力を試そうとしているんだなと直感した。

 そこで私は考えた。真横から水平に写せばピント合わせは楽だけど立体感の表現できないので、少し斜め上から写したいがそうすると被写界深度の関係でピントが届かないし、キーストン効果で先細りの画像になってしまって、ボリューム感が削がれて安定感の乏しい画像になってしまう。そう思ったのでアオリが効くキャビネの暗箱を借りて乾板で2枚写した。

 そこにコーヒーが運ばれてきた。すると社長は今度はローライフレックスを持ち出し、運ばれてきたコーヒーを写せという。腹の中でむっとしたが仕方がない実地試験だと自分に言い聞かせて写した。

 すると社長はスタッフにすぐ焼き付けるように指示をした。そして雑談をしている間に四つ切りに引き伸ばされた写真が45枚社長の手元に届いた。

 ピントも露出もしっかり合っているし写り映えがよい。当時は露出もピント合わせも、写真家の勘に頼っていた時代だ。腹の中で我ながらといった自信のある出来映えだ。

 その写真を手に取った社長は「これでは当社では使い物にならんね、この瓶に白く写っている丸いものは何なのかね、なに?スタジオ内のライトの映り込み?、そんなものは写さなくていい。このコーヒーは温かいのかね? 香りはいいのかね? そうしたことが感じられないのが残念だ。まあ最初はそんなもんだよ、もし、やる気があるのなら見習いとして2/3ヶ月やってみるかね?」と…。

 「この男、写真で飯を食っていこうという気があるか?」ということを「センスがいいから写真界で働かない手はない!」と激励されたかのように受け取り、「好きなことをやって給料をもらえるなら楽しかろう」という私の思い上がった気持ちをいっぺんに打ち砕いた瞬間である。

 「写真が好きだから、それで飯を食うプロになる!」という想いが違っていたのである。それで飯を食うためには、クライアントやアートディレクターの声が聞こえるような写真じゃないといけないのである。好きな写真を楽しむには、それを職業にしてはならない。

 秋山正太郎さんが「堀田君、我々プロがアマチュアに影響を与えることもあるけど僕は逆に、アマチュア恐るべし!と思っているよ、なぜなら、自分流を貫けるから真にその人の個性的作品が生まれると思っている」と話されたことを思い出し、「プロ失格」を自認し、下手でもいいアマチュアとして生涯、写真を楽しんでいこうと思っている。

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by yumehaitatu | 2018-03-03 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法 105号 堀田義夫  「点数は後からついてくる」   

やぶにらみ論法 105  「点数は後からついてくる」  堀田義夫

 私の写真仲間に中谷はるみさんという女性がいる。この人は山梨県出身で、いまふるさと「武州・山梨」をモチーフに精力的に取材を続け、山梨県の観光大使も務めている。

 この夏、日本一過疎化が進んでいると報じられた地域をモチーフにした写真展が山梨県・早川町茂倉集落で開かれた。その展覧会の設営その他で協力した伊藤写真の社長・堀口彰洋さんに案内されて訪れました。

 展覧会に合わせて「守られて 山梨県・武田の里」という豪華な写真集も発行されました。山梨県知事も巻頭言を寄せています。私は今が“旬”の作家の一人だと思っている人です。

 その人が久しぶりに我が家を訪れて四方山ばなしをしていたのですが、そのなかで次回の作品発表のコンセプトにその地方の方言を織り込んだ仕事がしたということを話していました。

 その動機となったのは、彼女の展覧会を見にきた郷土史家の学者が、中谷さんの失われていく人間の記憶を次世代に残そうとする姿勢に共感して、分野は異なりはすれど同じように記憶から遠ざかる地域の方言を研究している自分の姿と重ね合わせ映像作家と歴史学者とのコラボレーションを提案されたという話でした。 

 こうしたことを考えると私は、写真という趣味を持ったことで、中谷さんは新しい出逢いのチャンスを手にしたと思うのです。出逢いの機会を多く持てば、優れた人財との出逢いが期待できます。そうしたことでいままでの仕事が更に深く大きく次の仕事へとつながっていくのだと思うのです。

 中谷さんは更に言葉をつなぎ「こうしたことが成功するか、失敗するか解りません、とにかくやってみます。いい結果を期待するのではありません。やった結果、その点数は後からついてくると思うんです」 とその前向きな姿勢には頭が下がりました。

 私は相田みつをさんという詩人の作品を指針に生きようとしてきました。その人の作品の中に「点数」というのがあります。

“にんげんはねぇ 人から点数をつけられるためにこの世に生まれてきたのではないんだよ にんげんが先点数は後”

 中谷さんの話は忘れかけていた私の記憶の中のこの作品を思い起こさせてくれました。巷間「専門バカ」という言葉があります。さしずめ私なんかは写真バカといわれる部類です。ですが、15年前デジタルフォト研究会を立ち上げようとしたとき従来の写真仲間だけではなく、いろいろの人たちに集まってもらい「共育」という信条の基に、いろいろと学ぶことができる機関を作りたいと思っていました。

 そのためには、デジタルフォト研究会という組織があって人が集まるのではなく、優れた人財がいることが魅力だといったデジタルフォト研究会という組織作りを望んだのです。幸いなことに順調に成長してきたと思います。

 これからも“井の中の蛙”で狭い枠組みの中でチマチマとその組織の中の常識に縛られた活動ではなくグローバルな目線で運営を考え、人財の育成や確保に努めることが出来たら良いなぁーと思っています。
「夕照の池」


by yumehaitatu | 2018-01-06 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法104【自分流を楽しむ】堀田義夫   

【自分流を楽しむ】堀田義夫

2017年の「夢の配達人展」も好評で多大な成果をあげて終わった。そして私自身大いに学ばせてもらいました。

 例えばAさんの色彩のセンスに刺激を受け、Sさんの作品の完成度の高さに学び、Hさんの可能性を追求する姿勢に感動し、Wさんの美術に対する造詣の深さに敬意を覚えるといったように実に多士済々。デジタル研究会の人財の豊かさ、魅力を強く感じました。

 こうした思いは観客から作品購入を希望されるといった形で具現化していました。他の展覧会とはこのあたりの反応は大いに違っています。

 反面、「これ写真かい?絵だと思ったよ!」「変な写真ばっかりだね」といった感想もありました。だからといってこれは如何なものかといった気はチョットもしません。

 日常会話の中で、「何とも奇妙な光景を見た」といってもその奇妙さを伝えるには一枚の写真を撮っていれば説明が簡単だけど、言葉だけで説明しようとすれば大変。写真は一目瞭然。これで解るように、写真を説明のために写しているのです。誰もが見て判る写真、言葉で説明できる写真が一般的写真というように思われているんですね。

 私は“説明していない写真が面白い”と思っています。「おっ、面白いところを見つけたね」

「こういうのって、ふつう撮らないよ」 「でも何となく気になるなぁー」というような写真が撮れたらシメタものと思っています。これは見る人の心を「つかんだ」からです。

 表現者として一番必要なことは、この「つかみ」ではないかと思っています。

 私は仲間と撮影に行ったときなど、誰も撮らないところを撮るってことが多い。たとえば小屋の羽目板、錆びた看板、コンクリートの割れ目といったふつうはそんなものは撮らないと考えられるものに「何かいいんだよねー」といった感覚で撮影する。

 それを撮ったらなんになるのか、と考えたら何も撮れなくなる。考えちゃダメ!

“誰もが撮るものを撮っても面白くならない、他人が撮らないものを撮る“。そんな姿勢でいる。

 創作活動は自分だけの世界です。「変なものばっかり撮っているねぇ」といわれたらホンモノだと思っています。「なぜこういうものを撮るのか解んないなぁ」といわれたら御の字です。

 最初はヘンなヤツだといわれていても続けると個性として認められ、作家として一目置かれるようになると思っています

 よい作品というものは、見る人が写真から何かを感じ取ろうとする気持ちが動くかどうかです。 「この写真なにかヘンな写真だけどいいんだよなぁ」とか「想像力をかきたてるっていうか、詩を読むって気分になる。そういう魅力があるよねぇ」といった言葉が続いたら最高。

 「言葉に出来ないものを写真にしている」言葉にできるくらいなら写真なんかやっていない。

そうした独りよがりが個性につながるのです。個性が感じられない写真は他人も面白がっちゃくれません。そう思って“自分流を楽しむ”ことにしています。


海底の葬送>


by yumehaitatu | 2017-11-03 21:26 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法103 【展覧会から学ぶ】堀田義夫   

やぶにらみ論法103 【展覧会から学ぶ】堀田義夫

まもなく「夢の配達人展」があるが、最近仲間たちとグループ展を開いた。

 そこで私の個人的な観察によると、展覧会を見てくれる人たちのなかに大きな過ちを犯している人が多くいるように思えた。

 「この写真何ミリで写した?」「そんなに長いレンズじゃないよね、100㎜くらいかな?」「こうした写真はやっぱり望遠だね」「ボケ具合がいい。絞りはいくつくらいなんだろう」といった調子で、作品の内容に触れることよりも関心はもっぱら技法なのだ。

 またモノクロプリンとなると、「プリンターはなに?」「用紙はどこの製品、その銘柄は?」と執拗に聞いてくる人もいる。

 それは写真の撮り方やプリントのお勉強会とでもいった見方だ。写真展を見て、上手い撮り方をする、綺麗なプリントだといった作例写真という見方しかできないというのは情けない。いまのカメラやプリンターの性能はそうした技法の習得を必要としないほど進化している。技術力を評価していた過去の価値観は捨てるべきです。作品を見てなにを感じ何を読み取るといったことが抜け落ちていたら、写真は薄っぺらなただの画像でしか過ぎないとわたしは思っています。 驚いたことに観客の方から、「作品が作者それぞれバラバラで、見にくい!」といった指摘もあったことです。

 「風景写真が好き」「花の写真が好き」といったように写真の分野の同好会としてまとまるということも腕を競い合うという意味ではいいのかもしれないが、いまは写真の趣味はシニア世代が中心だが、コンピュータ社会の中にいる今日のシニア世代は昔の同世代とは写真の感性が違うはず。写真上達法をお勉強する時代じゃない。

 私たちは、それぞれがそれぞれの方法で撮っている写真を持ち寄って、見せ合い語り合ったりしながら、写真展を開き、写真集に纏めている。金太郎飴でもあるまいし、指導者がいて、みんながそれに右に習え!といったグループ活動は望まない。

 ○○写真が上手に撮れましたという成果発表のような写真展では、心ある写真愛好家は物足りなさを感じるだろうし、共感も得られない。それぞれの作者が何を考え、写真で何を表現しようとしているのかを見てもらいたいと思っているのに、そうした期待を裏切っては申し訳ない。

 わたしの作品について多い質問は「はじめからこうしたイメージがあったのか?」ということだった。私がその質問に「モチーフ(写そうとした動機)に遭遇したら、とりあえず写します。それを何度か見ている内にイメージが湧きます」と答えると怪訝な顔をする。

 作品を制作するということは遊び心が必要。いまのカメラは「ちゃんと写る」んです。だからちゃんと遊べば、ちゃんと遊んだ心が観客に伝わる。「こんな写真見たことない」といわれれば最高の賛辞だと思っている。と答えて煙に巻いていました。まもなく「夢配展」です。大いに遊び心を楽しんでみてください。

疑 心


by yumehaitatu | 2017-09-02 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法 102 8万時間を豊かに過ごす   

8万時間を豊かに過ごす102

 ある識者の説によると、20才で社会人になって定年まで勤め上げたとすると、そのトータルの時間は8万時間になるんだそうです。

 また、定年を迎えて84才まで生きたとすると、そのトータルの時間が8万時間だというのです。

いまは長寿社会になりました。仕事に一区切りついたら、残りの8万時間を自分で人生を設計して豊かに過ごせる時間にしたいと思います。

 私はその時間を有効に使うために目標を決めて行動します。その方法は自分を叱咤する意味を含めて新しい年を迎える度に、年賀状でその目標を宣言しています。

 宣言すれば、無理にでもその方向に自分を向かわせます。最近の5年間を振り返ると、

 ※ 2013年;

 あなたが、そこにいるだけで その場の空気が明るくなる あなたがそこに、ただいるだけで みんなの心が安らぐ そんな、あなたに私もなりたい (相田みつを)

金平糖にように角のある自分の性格をこの詩にある「あなた」のようにしたかった。

 ※ 2014年;

 過去を追うな 未来を求めるな いまなすべきことをしっかりとせよ(マハトマ・ガンジー)

過去の栄華を思ったり、未来のことを夢見ることをやめて、いま直面している問題を一生懸命やることだと、自分を叱咤するつもりで目標に掲げた。

 ※ 2015年;

 歳を取っても 人から必要とされる人間であり続ける努力をする (外山滋比古)

歳を取ると、何事もネガティブに考え行動する。60年を超す写真という趣味に飽きないのは写真が好きだから、飽きない道だから、いつも新しく、いつも生き生きして、人に頼られる存在でありたいと願う気持ちから宣言した。

 ※ 2016年;

 生きているうちに 働けるうちに 日が暮れぬうちに (相田みつを)

エンジンが古くなると、掛かりが悪くなる。それを警戒して、相田みつをさんの詩を念じ生活習慣に定着させる目標を掲げた。

 ※ 2017年;

 振り向くな振り向くな 後ろには夢がない(寺山修司)

いろいろのことなど知らなくていい。限りのないことだもの。それより一つのことをハッキリ知った方が良い。それは自分がなにをやりたいのか! ということを。

 だが、そうした目標は立てるのですが、どれもクリヤーできた訳ではありません。目標を立てて、それを遂行する手段としてやる。結果はどうであれ、やらないより、やった方がよいに決まっているからです。

 しかし考えれば、このことは自分の生きざまを飾るために知者・賢者の名言を剽窃して、小賢しく生きてきたことに気付きました。これは銀行から多額の借金をしながら、あたかも自分の財産と錯覚しているようなものです。

 これからは自分自身の預貯金で、身の丈に合った生きざまを心懸けなければならない。

時間の使い方は命の使い方だから…。残った時間を写狂老人はいま、「老いの花道」という表題で執筆中です。

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by yumehaitatu | 2017-07-01 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法101 展覧会を考える   堀田義夫   

展覧会を考える                 201749

 フォトドリーム展も幹部の方々と会員の協力で終わった。私は結果として成功だと思う。ただ、隔年開催という展覧会は固定ファンがつきにくい。1回見そこなったら、3年間は見なかったことになる。それにもかかわらず、多くの熱心な観客は見に来てくれたのだから…という自分を納得させた上での評価だ。

 いま写真の愛好者は大きな岐路に置かれている。それは高齢者層と若年層では写真文化の受け取り方に大きな変化が生じているからである。

 社会現象として若年層はSNS(ソーシャル・・ネットワーキング・・サービス)を利用して必要な情報を簡単に手にすることができる。そのため特別な理由がない限り、わざわざ展覧会場にまで足を運んでくれない。いきおい展覧会を見に来る人たちは高齢者が多いという現象に陥っている。

 だいたい展覧会に行ってみようと思うにはいくつかの動機がある筈だ。私の場合は次の3つが基本になっています。

 ①;自分と自分に関係する組織などで知り合った人のために義理で見に行くケース。

 ②;自分が尊敬したり、憧れている作家が出品している展覧会には、今年はどんな作品を発表しているのかという期待感と、自分を啓発し、学ぶために足を運ぶケース。

 ③;有能な作家を擁した公募展などには、ときの写真文化の流れを知るために足を運ぶケース。

   などがあります。以上の姿勢は観客としての立場から考えてのことだが、自分が出品者の場合は、また違ってくる。

 ①;自分の作品の前にいかに長く観客の足をとどめ置くことができるか。

 ②;観客の反応はどんなものなのかという不安と期待感。

 という個人的な想いがあります。

 しかし、主催者として展覧会が成功か不成功かを考えたときには、また、別の工夫が要求されます。それは、観客から、来て見てよかったというと満足感を与えられることができたか?である。それのことは、

 ①;他の展覧会では見られない差別化を図られている。(作品の独自性・会場構成・観客対応)

 ②;作家と観客の接点の工夫されている。(人との出逢い・知的財産の共有・知的刺激の供与)

などがあると思います。

 そうした点では、今回のフォトドリーム展は小間康嗣さんや大川元一さんの、この展覧会の良かった点として制作手順が掲示されていることに観客が大いに関心を示し、会場内での滞留時間が長かったと、制作手順書の掲出が効果的だったという分析結果を聞かしてくれました。

 出品者にとってはレシピの制作に負担を感じ、敬遠される向きあるようですが、私は上掲のように、

それぞれの立場や時の流れを勘案したとき、多少の難しい問題を含んでいても、自分たちの展覧会に少しでも魅力を持って貰うためには避けて通ってはならない気がします。怠惰に前号踏襲の姿勢に流されていては、展覧会の持つ意義は失われる一方です。幹部を含め会員の方々の協力を得てデジタルフォト研究会だからこそできたという、時代に沿った展覧会を続けて欲しいと思う。
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by yumehaitatu | 2017-05-06 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法 堀田義夫 御輿人生   

御輿人生   堀田義夫

 「厳寒の雪国の写真を撮りたい!」そんな想いを西垣会長が会食の席で話したら、堀井裕子さんが青森の尻屋崎地方にいまも伝わる小正月の素朴な「餅つき踊り」と、「寒立ち馬」を撮影する企画があるから参加しないかと誘ってくれた。

 出発当日、東京駅に西垣・大嶋・堀田が顔を揃えたが、案内役の堀井さんがきていない、そして西垣さんに電話が入り、トラブルが発生したので指定の列車には乗れないので先に行ってくれという連絡が入った。一抹の不安はあったのですが仕方がありません、とりあえず新幹線で八戸駅まで先に行くことにしました。

 八戸駅では、「堀井さんから連絡があったので迎えにきた」といって、一昨年私たちが撮影でお世話になった顔見知りの某企業の役員の方が出迎えに見えて、すぐさま撮影ポイントに案内してくれました。

 その人は私たちが撮影している間に、次の列車に乗ったはずの堀井さんを再び駅まで迎えに行き、一時間遅れでやっと合流するといったハプニングがあって慌てましたが、勤めを休み、社有車を使って我々のため心を遣ってくれたことには恐縮しました。聞いてみると、社長さんも承知の上だという。

 このことを含めて私たちの五日間滞在中は、靑森県写真連盟、靑森コンタックスクラブ、靑森二科、鶴田写真クラブ、靑森テレビなどの方々には、撮影地の下見、その日の天候に見合った撮影地の選定、交通手段として車の提供などといったことで大変お世話になりました。

 そうしたことができたのは、前出に某企業の社長さんと書いたが、実は青森県下はもちろん東北地方では有名な、三八五ホールディングス代表・泉山元氏のお力添えがあったためだと知りました。

 その泉山社長が前出の方々と一緒に私たちを夕食に招いてくださった。いろいろ会話が弾む中で私は周辺を取り巻く人々との会話や、和やかさ、人脈の広さ、などを実感したので 「社長の生きざまは、御輿人生だと思いますよ」と感想を口にしたのです。

 社長はすかさず、「確かに周りから担がれていることは承知しています。そして僕のやっている行動から、周りに担がれていることも知らない御輿のような人生だと思うかも知れませんが、御輿は担ぐ人がいて、担がれる人がいなければなりません。担ぐ人がいなければただの箱です。御輿人生の基本は人との付き合いです。このことには心を砕いています。先生の一本の杖という本も読ませて貰いましたが、来る人は拒まず、去る人は追わずという信条には賛成です。だが、担ぐ人、担がれる人がいる中に、担ぐ振りをして、ただぶら下がっているだけの人もいます。そうしたことを見極めることは大切ですね」と語っていたのが印象に残りました。

西垣さんが「厳冬の雪国の写真を撮りたい!」と言った一言で、その御輿を担いだ堀井さん、その御輿を担がせたのが泉山社長、その社長の意向を汲んで堀井御輿を担いだのが青森県下の写真家たちと関係者の方々。そうした恩恵で、楽しませていただいた今回の撮影の旅は、かなりの強行軍だったが御輿人生を実感し、多くの教訓が得られた撮影行だったと思っています。いまからでも遅くない!これからは、人から担がれる御輿人生を心懸けなければならないと強く思いました。

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by yumehaitatu | 2017-03-04 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法99「越智祥之 Final Shot」  堀田義夫   

やぶにらみ論法99「越智祥之 Final Shot」  堀田義夫

新しい年を迎えました。昨年を振り返ると8月には本研究会の2代目会長だった、越智祥之さんが黄泉の国に旅立たれたという悲しい思い出がありました。

平成16年でした「俺の夢を実現させたいので力を貸して欲しい」と彼と酒を飲みながら話したことがありました。即座に「あァいいでしょう、やりましょう」という返事が返ってきた。なんのために力を貸せと言ったのではないのに、そのときは失礼だが[軽い男]と思ったのです。

私は越智さんのマネージメント能力を高く評価して誘ったのです。後日、何で軽々しく私の誘いに乗ったのかを聞いてみたら、「夢を持ってそれをやろうとする、先生の姿勢に共感したから…」と答えてくれました。私は時代と共に歩む写真文化を望んでいたのです。その夢の第一弾として、ある有能な作家をゲットするように依頼したのですが、アタックした結果は不調に終わったという報告は受けました。

それは「一度声をかけてダメなものは無理に誘っても戦力にはならない!」と常に私が言っていたからその話は終わったものと思っていました。

そして3年。その作家が当研究会に入会するという話になりました。それは3年間その作家と個人的にネゴを取り、当研究会の活動情報を提供しながら、やっと口説き落としたらしいのです。その作家はいまでは当研究会では余人を持って代えがたい人財に育っています。撮影会・旅行・展覧会といった諸行事には、親身になって会員のために行動してくれました。だからいつも多くのファンに囲まれていました。

また歴史に深い関心や知識を持ち、私があるとき本で読んだ曖昧な記憶から[道元上人]と言ったことを聞きとがめ、[上人]というのは僧侶の敬称だが、[道元禅師]と呼ぶのが正しい。[禅師]の称号は禅僧が朝廷から賜る称号なのだと教えてくれたことがあります。

若い頃、自分を知識人に思わせるためにいろいろの本を読みあさり得た知識は、言ってみれば、銀行から大きな借金をするようなもので、決して自分の財産ではないということを知らされたのはこの越智さんの指摘からでした。そのときから私は借金人生から脱却することを心がけ、自分自身の財産を自分で作らなければならないことに気付きました。

私の仲間が今年2月に個展を開くつもりでいます。その人が自分の個展の一部の壁面を提供して越智さんの遺作をかざってあげたいという申し入れを受けました。その作家の越智さんへの想いや、熱意に押されて私もコンセプトの組み立てや作品の選択、プリントで協力することを約束させられました。

越智さんは写真界を生業の場として勤めを果たし、卒業後は人脈の広さ、万民から愛された面倒見の良さ、卓越したマネージメント能力で当研究会に大きな功績を残しました。写真文化をこよなく愛し、人生を写真で締めくくった感のある「越智祥之Final Shot」をいまは是非、皆さんに観ていただきたいという想いでいっぱいです。
      越智さん(平成18年)

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by yumehaitatu | 2017-01-07 22:58 | やぶにらみ | Comments(0)

 「やぶにらみ論法」98     大人気の美学  堀田義夫   

 「やぶにらみ論法」98     大人気の美学  堀田義夫 2016/10/14

 平成28年10月11日~16日、当研究会の会員、大嶋丁未子・高橋洋子・堀井裕子さんが昨年に引き続き「昔姫・3人展」を開催した。私は、連日会場に詰めて多くのことを学んだ。

その第1は、大胆な会場の設定

 貸しギャラリーだから、1メートルでも展示壁面を広く使いたいと思うのが普通だが、その壁面の2割に当たる部分の壁面を撤去した大胆さな会場構成だ。エントランスホールから会場の全景が目に飛び込んでくる。賃貸料の2割を、会場構成費に消費されているのだが、男社会では、必ず「もったいない」と言って反対される。そんな大胆なことをやってのけた度胸の良さは見事、昔は「男は度胸、女は愛嬌」といっていたが、いまは時代が変わって異性文化には、前例にとらわれない度胸の良さがあると思った。

第2として、展覧会の原点を問う姿勢

 もともと17世紀フランスで広まった「サロン」という言葉は、名士たちの応接間、あるいは社交場として美術団体の定期展、音楽家の演奏会などが併催された。そうした意味では、作品の制作者と観客が共に楽しい雰囲気に浸れる空間でなければならない筈だが、日本では展覧会場で大声で話し合ったり笑ったりすることは御法度なのだ。国民性なのかも知れない。

 ところが、「昔姫・3人展」の会場はまさにサロン化していて、作品を見ながら作者と観客との会話が弾み、文明・文化論まで飛び出しその賑やかなこと、長い人になると1時間くらい帰らない人がいる。

 それは作家たちの人柄や気遣いもあるのだろうが、会場の雰囲気が柔らかく他の展覧会と比べ大きく違う。その違いを観察すると、作家たちの目線の低さにあるように思えた。

 例えば、鑑賞者の知りたいことについて専門的技術論やメディア論はもちろんだが、どこで撮ったの?どうしてこんなところを知っていたの?私の故郷の近くだけど全く知らなかった、今度行ってみたい。

 私も行ってみたいけど、いまではとても行けない!、珍しいとこを見せて貰ってとても嬉しい、こんな所で生活している人は可哀想、などと観客と作家が目線を合わせながら対話の広がりを楽しんでいた。

 俺たち、私たちのやっていることを見せてやるんだといった高所からの目線を感じない。素晴らしい雰囲気の漂う展覧会だと思った。

 尊敬される作家はそれなりの振る舞いが要求される。それは“大人気”である。「大人気」とは自分を引くことだ。他人(観客)にとって良いことのために、自分を少々犠牲にしても、さりげなく振る舞う姿勢が大切なのである。一般的には売れっ子作家になると真っ先に失うのがこの「大人気」である。自己PR・承認欲が優先してしまう。そうしたことでも作家たちの心配りには遺漏がなかったように思う。

第3は作家たちへの羨望

 靑森から来た、奈良県から、静岡県、千葉県、埼玉県からといったように遠くから駆けつけた観客とお目にかかり懇談する機会を得た。これは出品作家の人徳のなせる業だ。ただただ驚くばかりです。

 実は昨年も私はその人たちにお目にかかっている。ということは毎年足を運んでくれているのだ。写真を通した厚いお付き合いをしている出品作家の人徳には敬服する、私たちが自慢の仲間たちである。
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by yumehaitatu | 2016-11-05 17:01 | やぶにらみ | Comments(0)