やぶにらみ論法「ときの流れに身を任せ」(113) 堀田義夫   

 先日、友人から良い展覧会をやっている、是非見ると良いという知らせがあって、東京都立・庭園美術館に大嶋丁未子さんと共に足を運んだ。

 94才という女流作家・岡上淑子さんを私は全く知らなかった。

 日本にシュールリアリズムを広く紹介した、美術評論家の瀧口修造さんに見いだされたその仕事は、コラージュによる作品である。

 コラージュというのは、雑誌などの印刷物を切り抜き、貼り合わせて独自の空間構成を試み新たな作品

を作り出す行為で1960年代のアバンギャルド(前衛芸術家)たちに支持されていた。

やぶにらみ論法「ときの流れに身を任せ」(113)  堀田義夫_f0018492_00034481.jpg

 当時の風潮に刺激を受けて私自身も掲載したような作品を多く発表していた。似た傾向の作品では、アメリカの作家・ウルスマンがいる。もう50年以上前の話だ。

 フィルムがメディアの主役であった時代はこうした作品をつくることは実に大変だった。
ところがメディアがデジタル化した現在ではそうした技術力は美術家・森村泰昌さんによって簡単に解決されてしまったと私は思っている。

1990年代に自演・自写による「女優になった私」という作品で登場したときの衝撃は忘れられない。

 以来、私はデジタルフォトに身を投じた。

 岡上淑子さんの仕事に多くのことを学び、その労力や技術力、発想の豊かさに圧倒された。

 だが、それより私はこの50年間にメディアの進化がもたらしたデジタル化が表現者に大きな福音を与えてくれたことに感謝している。

やぶにらみ論法「ときの流れに身を任せ」(113)  堀田義夫_f0018492_23350911.jpg

                 1990年  森村泰昌

        海浜の葬送

やぶにらみ論法「ときの流れに身を任せ」(113)  堀田義夫_f0018492_23351740.jpg


by yumehaitatu | 2019-05-04 12:00 | やぶにらみ | Comments(0)

<< 2019年6月研究会作品 2019年5月研究会作品 >>