やぶにらみ論法 「教えない!」  堀田義夫   

やぶにらみ論法 「教えない!」         堀田義夫

 久しぶりに昔の写真仲間と一杯やった。その折に「堀田君は昔から教えることは下手だった。評判は良くなかったよな~」と言われた。そうした風評は私自身の耳にも入っていたので否定する気もないし、教え下手は自認する。

 その風評の一例は「うちの先生は撮影会にきてもなにも教えてくれない。黙って自分の写真を撮っているだけだが、どこどこの○○先生は聞くところによると、なにを写せばいいか、ここから狙え!、絞りは?シャッタースピードはこれくらいと手取り足取りで教えてもらえる。とても勉強になる」と言うのです。

 そうしたことが耳に入れながらも、そうしようと思わなかった。私には自分のコピーのような作家を再生産するつもりはないし、また、変な作品しか写さない作家の真似をしようとする人のいないこともあって、自分の思いを押しつけることを避けてきた。

 私の絵の師匠は「自分から学ぶ気持ちにならなければ、教えても無駄だから教えない、

これはどうしよう、これはどうしよう、と常に自分で考え頭を使わない人は、俺にはどうしようもない、そうした人には教えることはない」と常に言っていた。このことは学ぶ側に、やりたいことを自分で知っていることの大切さを求めているのだと思いました。

 同じようなことを孔子も論語の中で「いくら真剣に教えたいと思っても、学ぶ気持ちのない人は、どうしょうもない」と言って教えることを拒んでいます。

 こうした人たちは、自分から学ぶ気持ちにならなければ教えても無駄だから教えない。と言っているように思います。すなわち学ぶ姿勢を問題にしています。

 ところが私の写真の師匠は「知識は本読めば得られる、技術は経験を積めば解決する、良い指導者は、その人がやろうとしていることを察し、その人の持っている良い芽を見つけて気づかせ、その背中を押して、その芽が枯れないように育てるための助言者であることが好ましい」。と教えると言うことは押しつける姿勢を過ちだと問題にしていました。

 写真もデジタルフォトが普及すれにつれて写真クラブなどでも積極的にその技術を学ぼうとする風潮が浸透してきました。

 当研究会でも、あるベテランが依頼されてレタッチの習得を目的とした講座に招かれた。どうせ教えるなら、最も優れいると思えるソフトを使って、参加者から感謝されるような講座にしようと臨みました。

 ところが、参加者たちは自分が知りたいと思っていることと違和感を感じて回を重ねるごとに減って終いには消滅してしまったのです。

 指導者は最も進化したソフトで教えようとした。参加者は指導者のその熱意を理解できないで戸惑い、せっかく学ぼうという意欲は萎えて、長続きしなかった。このことは教える姿勢と学ぶ姿勢の食い違いによるものです。

「相手がなにを知りたいのか?」ということに対して、その知りたいことに応えることが大事です。教え下手は駄目だが、教わり下手であってもいけません。心したいと思います。
               「砦」
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by yumehaitatu | 2018-07-07 10:00 | やぶにらみ | Comments(0)

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