やぶにらみ論法107【写真を読む】 堀田義夫   

今日(415)の新聞の文芸欄に、【春光を弾きてヨット向き変える】という高張一司さんの俳句が載っていた。高張さんの友人で、写真家でもあり俳人でもある浅井愼平さんから、高張さんはカメラをもらって写真を始めたという話を前に伺っていた。

当会の分科会「フォト575」では大木伊都子さんとともに指導的立場で活躍されている。この二人の作品は独特な洗練された感性で制作され、大いに啓発され学ばせられる。私は俳句に造詣があるわけではないが、常々その短詩系文学の表現と写真の表現が似ている気がしている。直接的ではなく比喩的表現という点が似ていると思うのです。

同氏の別の作品に【泣かした子あやす天狗や秋祭り】という傑作がある。天狗の面をかぶった男が可愛らしい子供の頭をさすったか、あやすつもりで顔を近づけたのか?。怖さにおびえた子供が大泣きをしてしまい、天狗様が慌てふためいている情景を思い起こさせる。このように作者のメッセージが明確に伝えられれば読む人の心をつかむ。

午後、知人から「○○クラブ写真展」の案内がきていたのを思いだし出かけた。会場を一巡していると、知り合いの著名な写真家に出会い、しばらく立ち話をしたのだが、【そこに行ってきました!そこを撮ってきました!】という作品ばかりで何で撮ったかのメッセージが聞こえてこない面白くない展覧会だという感想を聞かされた。

かつて【作者のメッセージが聞こえない写真はゴミだ!】と切って捨てた有名な写真家の言葉を思い起こした。

ところが私にとって写真展は学びの場なのです。

発表された作品のモチーフやテーマ、コンセプトといった切り口を読み、剽窃や気づきのヒントを得るために行くのです。

その展覧会が前出の著名な写真家がいうメッセージが聞こえない面白くない展覧会だとしても、それはそれでいいと思っている。頼まれもしないのに余計な意見や講評を言う義理もないし、つまらないと思ったら無視すればいいだけの話だから…。

いま私が主宰する写真団体の趣意は【①教師なし先輩あり、教育なし研究あり。②来るもの拒まず、去る者追わず。③意見は言うべし、決定には従うべし。】としています。

写真が好きだから撮っていて、写真の表現形式は自由だから型どおりでない、それぞれがそれぞれの方法で撮っている写真を持ち寄って、見せ合い、語り合って展覧会を開いたり写真集をまとめていくという手法をとっている。そして創立から65年が経ちました。

この趣意の遵守はいまでも間違いではないと確信して実行しています。

写真展や写真集を見て、うまい撮り方をするための作例写真という見方しかできないというのは何とも情けない。作品を見てなにを感じ、なにを読み取るのか、といったことが抜け落ちていたら、写真は薄っぺらなただの画像です。私たちは、そうした作品の発しているメッセージを読むことを学んでいます。

            <守られて>

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by yumehaitatu | 2018-05-05 07:23 | やぶにらみ | Comments(0)

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