やぶにらみ論法104【自分流を楽しむ】堀田義夫   

【自分流を楽しむ】堀田義夫

2017年の「夢の配達人展」も好評で多大な成果をあげて終わった。そして私自身大いに学ばせてもらいました。

 例えばAさんの色彩のセンスに刺激を受け、Sさんの作品の完成度の高さに学び、Hさんの可能性を追求する姿勢に感動し、Wさんの美術に対する造詣の深さに敬意を覚えるといったように実に多士済々。デジタル研究会の人財の豊かさ、魅力を強く感じました。

 こうした思いは観客から作品購入を希望されるといった形で具現化していました。他の展覧会とはこのあたりの反応は大いに違っています。

 反面、「これ写真かい?絵だと思ったよ!」「変な写真ばっかりだね」といった感想もありました。だからといってこれは如何なものかといった気はチョットもしません。

 日常会話の中で、「何とも奇妙な光景を見た」といってもその奇妙さを伝えるには一枚の写真を撮っていれば説明が簡単だけど、言葉だけで説明しようとすれば大変。写真は一目瞭然。これで解るように、写真を説明のために写しているのです。誰もが見て判る写真、言葉で説明できる写真が一般的写真というように思われているんですね。

 私は“説明していない写真が面白い”と思っています。「おっ、面白いところを見つけたね」

「こういうのって、ふつう撮らないよ」 「でも何となく気になるなぁー」というような写真が撮れたらシメタものと思っています。これは見る人の心を「つかんだ」からです。

 表現者として一番必要なことは、この「つかみ」ではないかと思っています。

 私は仲間と撮影に行ったときなど、誰も撮らないところを撮るってことが多い。たとえば小屋の羽目板、錆びた看板、コンクリートの割れ目といったふつうはそんなものは撮らないと考えられるものに「何かいいんだよねー」といった感覚で撮影する。

 それを撮ったらなんになるのか、と考えたら何も撮れなくなる。考えちゃダメ!

“誰もが撮るものを撮っても面白くならない、他人が撮らないものを撮る“。そんな姿勢でいる。

 創作活動は自分だけの世界です。「変なものばっかり撮っているねぇ」といわれたらホンモノだと思っています。「なぜこういうものを撮るのか解んないなぁ」といわれたら御の字です。

 最初はヘンなヤツだといわれていても続けると個性として認められ、作家として一目置かれるようになると思っています

 よい作品というものは、見る人が写真から何かを感じ取ろうとする気持ちが動くかどうかです。 「この写真なにかヘンな写真だけどいいんだよなぁ」とか「想像力をかきたてるっていうか、詩を読むって気分になる。そういう魅力があるよねぇ」といった言葉が続いたら最高。

 「言葉に出来ないものを写真にしている」言葉にできるくらいなら写真なんかやっていない。

そうした独りよがりが個性につながるのです。個性が感じられない写真は他人も面白がっちゃくれません。そう思って“自分流を楽しむ”ことにしています。


海底の葬送>


by yumehaitatu | 2017-11-03 21:26 | やぶにらみ | Comments(0)

<< 17年12月例会作品 17年11月例会作品 >>