写真雑学60  米寿 渡辺澄晴   

米寿    渡辺澄晴

しばらく音沙汰のなかった写真家Mさんから電話があった。酔っぱらっているのか呂律の回らないしゃべりだった。「酔っぱらって電話するなんて無礼な奴!」と思いながら聞いていると、ひと月前に脳梗塞を患い目下リハビリ中で、ようやく室内を軽いものを持って自力で歩けるようになったと云うことだった。早速、お互いに「会いたいね!」ということになった。数年ぶりにMさんのいる広尾駅前のマンション10階を訪ねた。玄関を入るとすぐに「8」と記したレースカーの真っ赤なカバーが目に入った、その隣には本田宗一郎氏から贈られたというホンダのレースカーのエンジンが、ガラスのケースに収められ、モータースポーツ関連グッズとともに陳列してあった。

 Mさんは、六本木とスイスに事務所を持ちIRPA(国際レーシングプレス協会)のメンバーで内外出版社の依頼を受け世界を渡り歩くモータースポーツの写真家である。その彼が手足と口が自由にならなくなったのだから、さぞかし気持ちが苛立っているかと思っていた。ところが会ってみると意外にもクールだった。「なべさん! 俺はこの病気を機に車の運転も撮影も辞めることにした。もう82だぜー」「なんだ! まだ82か、俺は87だぞ、間もなく米寿だよ、車の運転やモーターレースの撮影は無理でも、花でも風景でもあるじゃないか、世はデジタルの時代。カメラもレンズも軽くなったしフイルム時代とは雲泥の差だよ!」「そうだ、すごいよなーデジタルは、回復したら世界の桜でも撮ってみるか。」Mさんは、もつれた舌で熱っぽくよくしゃべった。やはりこの人、写真とは縁の切れない人だと云うことがよく分かった。

 さて小生は、あと90日ほどで88歳の米寿を迎える。米寿なんてまだ遠い先の先と思っていたが、ついにその日がやってきた。昨年は転倒事故が3回あった。暮れには駅の階段から転落して、顔面15針を縫う大怪我をした。そんな事もあって遅きに失したが、考えを変えた。まず自宅の玄関口、階段、風呂場に手すりをつけた。そしてビルや駅の昇降は、エレベーターかエスカレーターを使用し、階段は手すりを利用することにした。運動と称して駅の階段を歩いて降りたり上ったりしたその結果が事故につながったのである。「元気ですねー」「若いですねー」と云われるのは、裏を返せば「躰を大事に、歳を考えて・・」などの忠告と受け止め、その有難い労りと激励の挨拶に感謝しつつ、これからも生涯現役で頑張りたい。

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by yumehaitatu | 2016-06-04 18:15 | 写真雑学 | Comments(0)

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