写真雑学 49 花形プレスカメラマン    渡辺澄晴   

写真雑学 49 花形プレスカメラマン        渡辺澄晴

*吉岡専造氏 その1
JR有楽町駅と地下鉄銀座駅にほど近い東京都千代田区有楽町2丁目に所在する有楽町センタービル。かってこの地域内には、朝日新聞東京本社、日本劇場(日劇)丸の内ピカデリーがあった。その朝日新聞社は4階が編集局で5階が出版局。その5階の奥に出版写真部があった。そこには〔新聞社に所属したスタッフ・カメラマン〕という枠をこえ、フリーの写真家たちと同じように創作活動を行っていた花形プレスカメラマンたちがいた。
その花形カメラマンの一人、吉岡専造さんに面会をもとめた。会社の部活、写真部の撮影指導をお願いするためだった。吉岡さんは快く会ってくれた。「おれも勉強になるから」と、潮来へのバス日帰り撮影会に参加してくれた。 1957年、今から57年前である。バスの中では写真のこと、カメラやレンズのことなど、持ってきたニコンS2を見せながら「こいつは故障もなく頑丈でいい。うちの連中はデモの取材では顔へ飛んでくる石をこのカメラで防ぐんだ」など冗談も交えた話で盛り上がった。別れ際に「今日も帰ったら仕事が待っているんだ。今は言えないが、すぐわかるよ」。 それは写真展、人間零歳・真司君の365日(東京高島屋)のワンカットだった。1960年写真集にもなった。1981年この人間零歳のモデル吉岡真司君は早稲田大学卒業して、㈱ニコンに入社した。
吉岡専造さんはまさに花形プレスカメラマンだった。写真嫌いで知られた吉田元総理も、大磯の自宅に取材に来た吉岡さんの人柄に魅せられ「吉岡君ならいい」と、自由に写真を撮らせてくれ、1967年写真集「吉田茂」を出版した。また在任中に宮内庁の委嘱をうけ、昭和天皇の御影を撮影していた。1996年宮内庁の許可を得て「素顔の昭和天皇」を発刊。このことを契機に吹き上げ御所内の植物を撮影。新聞社を定年退職してからも撮影をつづけ1980年写真集「吹き上げの自然」をまとめた。またJAF(自動車連盟)の会報の表紙他、写真ぺージも長年担当していた。
2003年日本写真協会功労賞受賞。表彰式は恵比寿の東京都写真美術館で行はれた。その後何度か電話での交流はあったが、お会いしたのはこの東京都写真美術館が最後だった。2005年5月2日、逝去。
*人間零歳の死
ニコンのM氏から電話があった。「悲しいお知らせです。渡辺さんとはもっとも関係の深い人なので・・・吉岡真司が5月の連休に南アルプスに行き、愛犬と共に滑落死した・・」という悲しい連絡だった。真司君とは4月末に、新宿コニカギャラリーで偶然出会っていた。「渡辺さん」と、声をかけられ、振り向くと真司君だった。久々の出会いだった。近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら親父さん(専造さん)の話しで終始した。別れ際、「今度職場が変わったので近くに来たら寄ってください」と、名刺をくれた。その10日後に訃報。彼は57歳で逝ってしまった。
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by yumehaitatu | 2014-08-02 17:00 | 写真雑学 | Comments(0)

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