やぶにらみ74 『しなやかに自分流を貫く』 堀田義夫   

 『しなやかに自分流を貫く』
 写真サークルで撮影会に参加したときのことだが、バスの中で幹事さんから 「今日の撮影会についてアドバイスをお願いします」 といわれた。確かに撮影会に参加したとなれば 「上手な写真を撮りたい」 と思うのは当然です。しかし私は写真のウデを上げようと頑張ったのは、撮影から仕上げまでの技術が難しかった時代のことで、そうしたことがすべて容易になった今日では、ウデ自慢は流行らないと思っています。
 だから 「現場に立ち会わなければ、何をアドバイスしてよいかわからない。とにかくフィルムの時代と違うのだから、自分がよいと思ったら、バンバン撮ることです」と曖昧な話しか出来なかった。 自分が良いと思ったらバンバン撮ることだといったのは、私は「撮ろうかどうか迷ったとき、先ずシャッターを切る」ということにしています。このことは、以前にある場所を、撮っておくべきかどうかを迷った末、結局撮らなかったことがあったのです。ところが、後日作品集を作るときに、その写真があれば構成に役だったのにと、悔やんだことがありました。後の祭りです。そのことがあって以来、「迷ったときは撮る!」と決めたのです。
 デジタルカメラは小さなカードにフィルムなら10 本分くらいの写真を写し込むことが出来るのだから、迷っていてはもったいない、どんどん撮っておく方が良いのです。
 よく、被写体をしっかり観察して撮る。ということがいわれます。たとえば、花の写真を撮るとき斜光線を選ぶか逆光線を選ぶか、カメラアングルをどうするか構図はどうするか、主題に対して背景をどう処理しようかといった、上手に撮るために画面構成考えることを 「観察」と思われているようですが、そうではないのです。何が被写体であれ、そういったことは、いかに上手に画面構成を纏めるかの工夫であって、「観察」ではない。「観察」とは、被写体の何を写真化するか、そこからいかに想像力を膨らませるかということだと思っているからです。
 私は 「撮影会」 というのは旅行気分でその場のそのときの発見だと思っています。そうした意味で撮影会というのは私にとっては、いつも小さな探検家気分にさせてくれます。
 「おっ、面白いところを見つけたね」 「こういうのって、ふつう撮らないよ」 「でも、何となく気になるなあ」「チョッと抽象的だけど、そこがいいのかもね」「この写真、なんか変な写真だけど、いいんだよなあ」「想像力をかき立てるっていうか、詩を読むって気分になる。そういう魅力があるよね」と仲間たちに言ってもらえる写真を撮りたいと思っているのです。
 だから、私には被写体を説明しているだけの写真はつまらないのです。ところが人に言わせれば、私のような写真は独りよがりの写真で、良くないという人がいますが、私は独りよがりでいいと思っています。それが個性につながるのです。個性を感じられない写真は、他人も面白がっちゃくれないと思うからです。
ですから、冒頭の 「今日の撮影会についてのアドバイス……」 という幹事さんの依頼に対して曖昧な話しか出来なかったのです。傑作を撮ろうなんて思わずに、しなやかに自分流を貫くことをお勧めします。
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by yumehaitatu | 2012-11-03 23:57 | やぶにらみ | Comments(0)

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