写真雑学15 シャッタ-チャンス   渡辺澄晴   

写真雑学15 シャッタ-チャンス  渡辺澄晴

フラッシュ撮影
古い本を整理していたら、以前サンケイ新聞の写真部長だった井上敏雄氏の著した「シャッタ-チャンス」という単行本を見つけました。その本の表紙は総理大臣官邸の階段に陣取った約60名のカメラマンたちが、組閣を終えた大臣たちの記念写真を撮ろうとする撮影風景です。彼らが手にしているカメラはアメリカのグラフレックス社のスピ-ドグラフレックス、略してスピグラと呼んでいました。フイルムは4×5インチ、そして大きな傘をつけたフラッシュライトが装備されていました。
 ストロボやフラッシュバルブの明るさは、ガイドナンバ-で示されます。井上氏の話ではこの表紙の写真は、被写体との距離は約10メ-トル、フイルムの感度はISO200、レンズの絞値はf8とのことでした。このことからガイドナンバ-は80前後になります。この明るさは一眼レフカメラの、外付けのストロボの2倍~4倍です。そんな強烈なフラッシュで、シャッタ-チャンスを逃がすまいと、大勢のカメラマンが、いっせいに何回も使うのですから撮られる側もかなり眩しかったと思います。
シャッタ-チャンス
 フイルムカメラの感度はフイルムで決まりますが、デジタルカメラはカメラの機能で感度を調節できます。感度(ISO)を高感度に変えれば少々暗くても、フラッシュを使わずにシャッタ-チャンスを掴むことができるようになりました。日本の報道カメラマンは東京オリンピックまではスピグラが主流でした。ところがアメリカの報道カメラマンは既に一眼レフニコンFモ-タ-ドライブの時代になっていました。東京オリンピックの前年までは、アメリカの報道カメラマンが日本製カメラを使い、日本の報道カメラマンがアメリカ製のスピグラという奇妙な現象の時期でした。
 当時スピグラは、報道カメラマンのシンボル的カメラでしたが、機動性・速写性に欠け一眼レフと比較したら雲泥の差があり、日本でも東京オリンピックを境にスピグラから一眼レフに変わりました。そして45年。カメラはフイルムからデジタル時代になり、今では機械には弱いとされていた子供やご婦人方でも、気楽に写真が撮れるようになりました。
 しかし、『シャッタ-を押せばよい』だけの便利な時代になりましたが、誰が撮っても傑作とはいきません。便利なカメラによってしっかりピント合わせができて正確な露出であっても、最後の詰めは作者にあります。フレ-ミングはどうするか、シャッタ-チャンスはいつか・・・いくら全自動になっても、ここまでカメラはやってくれません。
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by yumehaitatu | 2009-06-07 17:54 | 写真雑学 | Comments(0)

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