カテゴリ:写真雑学( 65 )   

写真雑学25 付加価値 その1 渡辺澄晴   

時が経つほど価値がでる
 小学館で発行している昭和30年代を舞台にしたコミック「特選三丁目の夕日」「月イチ三丁目の夕日」という写真コラムがあります。
 それに連載された写真の企画展『齋藤利江の三丁目の写真館』が、東京・銀座のギャラリー・アートグラフで2回に分けて開催されます。
 実は、これらの写真は齋藤利江さんが20歳の時に「女が写真家になるなんてとんでもない!」と父の綱広さんに猛反対され、写したネガを取り上げられ40年間も行方不明になっていたものなのです。そのネガが“発見”されたのは、齋藤さんの還暦の誕生日でした。

開けてビックリ玉手箱
 父の綱広さんが亡くなって17年後の平成11年、やっと遺品に手をつける気持ちになった齋藤さんは、気にかかっていたダンボ-ル箱を開けてみました。
 すると、ずしりと重い古びたクッキ-の缶が出てきたのです。その缶の中には捨てられたと思って諦めていた40年前の懐かしいネガがぎっしりと詰まっていました。
 たまたま写真指導で桐生を訪れたとき、齋藤さんからその話を聞きました。そのとき見た「花嫁と子供たち」はカメラ雑誌で一等になった写真で、頭の中に強烈に残っていた一枚でした。
 そしてチャンバラ・紙芝居、昔懐かしい写真が続々。それらを見た私は“取り敢えず地元で発表!”と、自分ごとのように興奮して齋藤さんを急き立てました。

新記録の入場者数
 半年後に桐生の市民文化会館で全紙・全倍220点を展示。そのことが新聞・テレビで紹介されると、当時のチャンバラで遊んだ子供たちや花嫁さんが、夫・妻・子供・孫などの家族と大挙来場。
関係者の話では、個人の催しでは会館始まって以来の大入りとのことでした。そして翌月には銀座のニコンサロンでも同様で、この催しは開催日の朝・夕のプライムタイムにNHKのテレビで紹介されました。
 ニコンサロンは銀座4丁目から東銀座に移ったばかりだったので、交番にはその場所への問い合わせが頻繁にあり、関係部署には電話が殺到する大騒ぎでした。
 写真は、今回の企画展の案内ハガキです。古希を迎え今年70歳になった齋藤利江さんは、これら古い写真に更に付加価値をつけるため、すでに還暦を過ぎたチャンバラの子供たちや後期高齢者になっている写真の花嫁さんとその家族など、50年前を思い出しながら風景共々の今昔をまとめています。
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by yumehaitatu | 2010-08-08 14:02 | 写真雑学 | Comments(0)

写真雑学 先駆け・魁 渡辺澄春   

どちらが先でも  法人化の縺れから同志とともに日本写真家協会(JPS)と分かれ、日本写真作家協会(JPA)を立ち上げ22年。この度この協会は、一般社団法人日本写真作家協会(JPA)として新たに発足することになりました。全国組織の生みの苦しみ、育てる難しさを味わった一人として感慨は無量です。さて、そのJPAですが、『「JPA」というネーミングは俺が考えたのだよ!』と、自慢げに言うのが複数人います。日本写真家協会はJPS《Japan Photographers Society》の略称です。ならば日本写真作家協会は、(協会)Societyと同じ意味をもつAssociation(協会)になるのは誰でも思いつくことで、どちらが先でも自慢するほどのものではないのですが・・。
苦肉の策が先駆け  前回に引き続き話しは40年前に戻ります。そのころ仕事で度々新潟に出かけていました。行けば必ず立ち寄るのがこの地の写真家羽賀康夫氏のスタジオでした。その羽賀さんから「写真展を開きたいので・・」と、相談を受けました。モノクロで写した白鳥の作品でした。二科展・富士フォトコンテスト・ニッコールクラブ等の大賞や、各誌カメラ雑誌の年度賞など総なめにした人だけにその作品はさすがに素晴らしいものでした。が、モノクロで写した白鳥の写真展は既に何人もの人が開いている。二番煎じ、三番煎じとなると、見る人の目は厳しい。やるとなるとかなりのインパクトのある作品が求められる。幸いまだカラーの白鳥写真展は見ていない。しかし、この時代はまだモノクロの全盛期。無理だと思いながら「カラーはないか?」と聞いてみると、意外にも「ある」と言う答えが返ってきました。
困った時のひらめき  後日、見せられたのがナチュラルなカラーの白鳥写真でなく、モノクロで写した既存の写真をカラーに仕立てた作品でした。(写真参照)今ではこの程度の加工処理ならば簡単なことですが、羽賀さんの制作プロセスは、カラーセロハン紙を使い分け自家現像での暗室作業です。パソコン画面で作品の出来具合を確認しながら創る、デジタルとは手間も時間も比較にならない気が遠くなるようなアナログ作業だったのです。1年後、銀座のニコンサロンで、ファンタスティクな手作りの創作作品70数点が白鳥のファンタジーというテーマで開催され大きな話題になりました。毎日新聞社から『瓢湖の白鳥』という豪華な写真集も出版、新潟県芸術選奨にも選ばれました。
羽賀氏は「あの時、渡辺さんにカラーはないの?と、言われなければこの作品は生まれなかった」と後述していますが、モノクロばかり見ていれば、カラーが見たくなるのは誰の考えも同じと思います。不用意に「ある」いってしまった羽賀康夫氏の苦肉の策、つまり、困ったときのひらめきが、この高度なレタッチ作品を生んだのです。
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by yumehaitatu | 2010-06-05 23:37 | 写真雑学 | Comments(0)

写真雑学23 「五輪の聖火台」渡辺澄晴   

「演出された?バンクーバー五輪の聖火台」
 バンクーバーの五輪とパラリンピックが無事に終わりました。五輪といえば開催国の趣向を凝らした聖火台への点火パフォーマンスが世界の衆目を集めます。聖火ランナーも北京五輪のような混乱はなく、理想の形にもどり点火の運びになりました。ところが、予定していた4本の聖火台の1本が立ち上がらず、せっかくの点火パフォーマンスも盛り上がりに水を差し、メディアの標的になってしまいました。
 しかし、閉会式ではその失敗を逆手にとり、せり上がってこなかった1本の聖火台を会場に現れた道化師がパントマイムで見えないロープで引っ張るようにして柱を持ち上げました。会場は笑いと拍手の大歓声。転んでもただでは起きない総合プロデューサーのリベンジ執念。あの開会式の失敗は最初から仕組まれたものだったのか?そんなようにも思える見事なショーでした。
 
「東京五輪の聖火台」
 話しは46年前の1964年10月の東京五輪に遡ります。テレビで放映される東京五輪は、日本選手団の入場と聖火ランナーが点火台に点火する場面が必ず出てきます。その点火台でモータードライブカメラが登場しているのです。前回の写真雑学22でお話ししましたように、1962年9月(東京五輪の2年前)シカゴで世界ヘビー級ボクシングタイトルマッチがあり、その撮影のためにUPI通信社の依頼で、特設リングの天井に5台の250枚撮りモータードライブを取り付けました。

「点火風景もアナログからデジタルへ」
東京五輪では、聖火台に点火する聖火ランナーの真後ろから黒い塊をつけた3本の長い棒がふらふら動いて見えます。その棒の先の黒い塊がニコンモータードライブなのです。シカゴのボクシング会場でヒントを得た外国カメラマンが長い棒の先に36枚撮りモータードライブを取り付け、複数の人がカメラの操作に携わりました。5台のカメラの操作を1人で行なったシカゴとは大きな違いです。
バンクーバー五輪と東京五輪の聖火台にまつわることは、アナログとデジタルの差がありますが、それだけに関わり合った者としては、いつ見てもあの東京五輪の点火風景は懐かしく笑ってしまいます。
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by yumehaitatu | 2010-04-03 18:05 | 写真雑学 | Comments(0)

写真雑学「モータードライブ」 渡辺澄晴   

カメラのロボット化
ニコンに勤務中、東京オリンピックを2年後に控えた1962年の9月、ニューヨークに赴任しました。目的はニコンFモータードライブの修理と使用状況の調査でした。モータードライブカメラとは、1秒間に3駒の撮影ができる当時としては画期的な自動フィルム巻上げモーター付カメラのことで、東京オリンピックのために開発した言わばカメラのロボット化の走りといえます。その頃の日本の報道関係者は、まだ大きなアメリカ製のスピグラ(スピードグラフィック)が主力でしたが、そのアメリカやヨーロッパでは既にこのモータードライブカメラが大量に使われていました。
最初の大仕事
ニューヨークに着いて間もなく、シカゴのコミスキーパーク球場に出張しました。「世界ヘビー級チャンピオンのパターソンと同級1位のリストンとのタイトルマッチを特設リングの上から撮りたい」というUPI通信社の依頼によるものでした。
リングの上にカメラを固定してしまうと試合中はフィルムの入れ替えはできない。そのために長さ30センチもある特殊の250枚撮りモータードライブを5台使いました。それらをリングサイドからカメラマンが1人で操作しようという工事です。大きな試合なので警戒も厳重。工事が終わるまで常に監視されていました。「試合中にカメラが落ちないだろうか・・」そんな心配をしながら入念に取り付けました。
 試合はあっけなく、挑戦者のリストンがチャンピオンのパターソンを1ラウンドでノックアウト。
日の新聞紙上にパターソンのダウンの瞬間や勝ち誇ったリストンの姿がリングの上からのユニークなアングルで掲載されていました。
そしてその日の午後、UPI通信社から感謝状が届きました。ニューヨークに渡って最初の大きな仕事でした。
あれから40年!
カメラはすべてがオート化。つまり撮影者の命令に忠実に従うロボットになりました。フィルムの入れ替えの手間もなく、メモリーカード1枚で500枚でも1000枚でも。大判カメラの領域だった遠くの新緑や紅葉、集合写真も。
アナログカメラの時代にはフィルムの感度と被写体の明るさに合わせて、シャッタースピードと絞値を設定、ピントを合わせ、シャッターボタンを押し、そして現像・・プリントという工程を経ていました。「これが写真の醍醐味!」と、昔を懐かしむノスタルジアになるのは私も同じです。だが、それはそれとして、未だに「デジタルなんて・・」と、フイルムカメラにこだわる人がいます、・・・「時代の波に乗れない人」と、気の毒に思えてなりません。
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by yumehaitatu | 2010-02-13 20:48 | 写真雑学 | Comments(0)

写真雑学21 ひとりよがり2 渡辺澄晴   

「ドタバタドラマ」
 「朝から元気の出る、笑いと涙の振り幅の大きいドラマ作りを目指しています。ドタバタと見えるのは、苦しい人生を笑い飛ばして精一杯生きる登場人物のあがきであります。」・・これは、NHKの連続テレビ小説「つばさ」に、私がドタバタ不要と苦言したその回答の一部です。
 で、なんとかその意図を理解しようと『想像力を喚起』して見ていたのですが、結論はやはり『ドタバタ劇』でした。視聴率13%台は朝の連続ドラマ始まって以来の低視聴率だったようです。この事は視聴者を無視した「ひとりよがり」演出だったからだと思います。

「写真の原点はシャープなピント」
整った写真に抵抗を感じる若手の写真家が、日常の不安感や虚無感などを表現しようとしたコンポラ写真が1966年頃に一時流行したことがあります。コンポラ写真は、現代の、今日的な、という意味でコンテンポラリー・フォトグラフィーを日本的に省略したものです。
 写真の既成概念からはみだした写真影像を意図した表現形式と、パターンに抽象化を加えた写真に「これが写真だ!」と、共鳴し真似たこともありました。しかし、日が経つに従いコンポラの意味が拡大解釈され、コンポラ写真の概念を履き違え誤解を与えるような、コンポラ=ボケ写真に変貌しました。やがて、騒がれ囃されたコンポラ写真の流行も去り、再び整ったシャープなピントの時代に戻りました。

「ニューアート展 2009」
横浜市民ギャラリーで催された、「写真の現在・過去・未来-昭和から今日まで-」という企画展をつぶさに鑑賞しました。久ぶりに接した諸先輩の素晴らしい作品。「これが写真だ!」と、改めて感動しました。当時はフイルムの感度も低く、ズームレンズも無く、カメラ操作も今のように押せば写るという便利なものではない時代なのに、先ず驚くのは見事な写真表現とシャープなピントです。この諸先輩の作品のコーナーを懐かしく鑑賞しました。
ところが現代の写真コーナーに足を運ぶと、「なんだ!これは!」と、思わず叫びたくなるような、広い部屋に大小さまざまな、ボケボケブレブレの、モノクロ写真がランダムに展示されていました。「これが写真?」。一目見て写されたものが何であるか判別できないものばかり。作者は、一枚ごとにどこで、何を撮ったか記憶になく、何気なくシャッターを切っているという。その写真表現は何となく理解できなくもない。だが、一点ぐらいシャープなピントで整った写真が見たかった。
      < 時 計 >
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by yumehaitatu | 2009-12-06 09:06 | 写真雑学 | Comments(0)

モノクロ3 渡辺澄晴   

可視光 
  光は電磁波であり、その光の400nm(ナノメーター)から700nmの範囲が人間の目に明るく感じる光線です。このことを可視光線と言い、紫・藍・青・緑・黄・橙・赤に分光されます。その可視光線の中で見られる天然の色を再現してくれるのが、カラー写真であり絵の具を使った絵画です。
  しかし、色を施さない墨の濃淡だけで画く水墨画があるように、写真にもモノクロ写真があります。もっとも写真の世界は今ではカラーが当たり前ですが、我々が写真を始めたころはモノクロだけでした。
  メトールやハイドロキノンなど現像薬品を天秤で量り、現像液を作り、撮影した像の出現を待つ期待と不安。そんな気持ちが暗室作業の醍醐味でした。そのような昔を懐かしむノスタルジア的な気持ちなのか、モノクロの素朴な味に魅せられたのか、近頃はモノクロの作品が多く見られるようになり、カメラもプリンターもモノクロに力を入れてきました。

メリハリ
  デジタルフォトのモノクロには、カメラをモノクロ仕様にセットして写す方法と、カラーで写してからパソコン上でモノクロに処理する方法があります。いずれにせよ、自然の色を白と黒との濃淡だけで表現するのですから見る側にしっかりメリハリのある撮影趣旨を伝えることが必要です。
  モノクロ仕様のデジタルカメラにはCC(シャープカット)フィルターに相当する機構があります。CCフィルターはモノクロのコントラストを強調したり、空の明るさを抑えて雲を誇張したりする効果があります。パソコンでの処理は、色相彩度、明るさ・コントラストなどで楽しめます。それらを使ってモノクロに味をつけてください。
  作例1は、雨上がりの神奈川県庁前の歩道に敷かれた陶器を中心に、落ちた銀杏の葉をカラー撮り、そのままモノクロにしました。作例2は、色相彩度と明るさコントラストで、白と黒のメリハリをつけ、造形的な表現にしてみました。
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by yumehaitatu | 2009-11-15 17:21 | 写真雑学 | Comments(0)

モノクロ2 渡辺澄晴   

モノクロとモノトーン
ある写真辞典によれば、モノクロ(モノクローム)はモノクロフイルム、ブラック・アンド・ホワイトフイルム、B&Wフイルムとも呼ばれ「白黒フイルムのことである」と、モノクロは白黒と定義しています。
念のため、広辞苑などでモノクロの意味を調べると「1色だけで画かれた絵画,単色画」「白黒の写真や絵画」、そしてモノトーンは、「単色画」「単一色の濃淡や明暗で表現すること」とあります。
デジタル時代の今日ではモノクロは白黒を含め、白青、白緑、白赤あるいは、黒青、黒緑、黒赤でも単色ならばモノクロと定義できます。
そして、モノクロもモノトーンも同じ意味に思えますが、あるデジタルカメラの使用説明書には、1種類の色の明暗のみで構成される白黒はモノクロと記されています。褐色のセピア色、クールなブルーはモノトーンと説明されています。
このことから、白黒以外の単色はモノトーンと、モノクロと区別して呼んだ方が分かりよいと思います。
物理的には白黒は、「すべての可視光線を一様に反射することによって目に感じられる雪のような色」が白で、その反対色の黒は「すべての可視光線を一様に反射させないことによって目に感じない色」なのです。つまり白黒は色ではなく、赤、青などの色に対し便宜上、白色、黒色と呼んでいるのです。
可視光線とは
 下図のように光はプリズムを透過すると、赤から紫の7色に分光されます。これは電磁波の中の光の波長400nm(ナノメーター)から700nmの範囲が人間の目に感じる光線で、このことを可視光線といっています。
モノクロ写真はこれら可視光の色を濃淡や明暗で表現します。それを調整するのがCC(シャープカット)フィルターなどなのです。
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by yumehaitatu | 2009-10-03 23:58 | 写真雑学 | Comments(0)

モノクローム 渡辺澄晴   

懐かしいモノクロ映画
「フジヤマのトビウオ」とアメリカのマスコミから称賛され、敗戦後の打ちひしがれた国民に生きる希望と勇気を与えてくれた水泳の古橋広之進さんが、去る8月2日亡くなりました。泳ぐたびごとに世界記録を出す古橋さんは、昭和3年生まれの私と同年輩でした。同じ年に生まれながら、こうも違うものかとずっと羨望の的でした。
当時は、テレビはなく、古橋さんの泳ぐ勇姿は、映画館でのニュース映画でしか見られませんでした。もちろんモノクロ。そのモノクロのニュース映画を久しぶりにテレビで見ました。カラー映像の合間に流れるモノクロニュースは、60年前の歴史とモノクロの深みを感じさせ、とても懐かしく思いました。
モノクロの深み
 テレビが一般の家庭に普及して間もない頃、ブラウン管の前に上側は青色、下側が赤色のフィルターをつけてカラーテレビの気分で見たことがあります。
 また、白黒写真には絵の具で色をつけ楽しんだこともありました。一巻の映画の一部分をカラーにした部分天然色映画を、胸躍らせて日比谷の映画館に行ったこともありました。カラー映像に憧れていた時代でした。
 しかし、今はテレビも映画も写真もすべてカラーです。そのため逆にモノクロが新鮮に見えるのだと思います。だからといって、何でもモノクロでは意味がありません。モノクロにも色があります。 紅葉や新緑、花などカラフルな風景も、モノクロでは黒と白のグラデーションで表現されます。その風景の何処に興味をもったのか、作品には分かりやすいメリハリをつける必要があります。
メリハリ
 作例写真を見て見ましょう。アサガオとともに夏の代表花、ヒマワリの群生を裏側から撮りました。カラーなら緑の葉の中の黄色い花は、綺麗に冴えて写るのですが、それを何も手当てをしないでモノクロにすると、(作例A)のように同じトーンの中で、花と葉の輪郭だけでメリハリがなく平坦なものになります。
 そこで葉と花を階調で分離して、(作例B)のようにしてみました。花がはっきり浮き出て見えます。方法はフイルム撮影と同様にCCフィルターを使う方法と、普通に写したカラー写真をモノクロに変換してからパソコンで処理する方法があります。(作例B)は後者で処理しました。
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by yumehaitatu | 2009-09-06 01:35 | 写真雑学 | Comments(0)

渡邉澄晴の写真雑学「ひとりよがり」   

ドタバタ不要
 NHKの朝の連続テレビ小説『だんだん』に引き続き、3月30日にスタートした『つばさ』も楽しみにしていました。ところが、あまりのドタバタ劇にがっかり、たまりかねて《NHKつばさ係り様》宛てに苦情の手紙を出しました。
 前略 私は横浜に住む老写真家です。早速ですが、『つばさ』について一言苦言を申し上げます。仕事で日本全国を走り回っていた私にとっては、この種のテレビ小説は、懐かしい場所が登場するので楽しみにしていました。・・・ドラマは撮影によく出かけた川越の街が舞台であり、・・大河ドラマ篤姫で好演した中村梅雀・高畑淳子の両名優がレギュラー出演とあって大いに期待していました。ところが・・・毎日がドタバタなのにがっかりしました。・・・・・草々   
《つばさ》制作スタッフからの返信
 「つばさ」へのご意見、ありがとうございます。ドタバタは不要とのご意見は真摯に受け止めたいと思います。もちろん私たちの主題はドタバタでなく、人が心に抱える「痛み」を描きたい。それも暗く悲しいドラマではなく、朝から元気の出る、笑いと涙の振り幅の大きいドラマ作りを目指しています。ドタバタと見えるのは、苦しい人生を笑い飛ばして精一杯生きる登場人物のあがきであります。ただ私たちの力量不足で、その思いが伝わらないとすれば、申しわけありません。・・今後の展開の中で、その思いが幾ばくかはお感じになれると思いますので、引き続きご覧下されば幸いです。

ひとりよがり
 視聴率の高い朝のゴールデンタイムに放映されるドラマは、それ相応に時間をかけ練り抜いて決められると思います。政府や各政党が国民の支持率を気にするように、このドラマも高い視聴率を目指して企画されたものでしょう。
 だからドタバタなどとクレ-ムをつけるのはおこがましいことで、好みに合わなければ見なければいいのです。一時は『つばさ』のテーマソングが始まると、他のチャンネルに切り替えていました。しかし、前記のような返信をいただいたので、何とかその制作意図を理解しようと、『想像力を喚起!』再び別の視線でドラマの展開を観ることにしました。
 作品の評価は見る側が決めるもの、決して一人よがりであってはならないと、自分にも言い聞かせながら、厳しい目で毎朝の『つばさ』を観察しています。
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by yumehaitatu | 2009-08-02 13:51 | 写真雑学 | Comments(0)

創る楽しさ・見せる喜び 渡辺澄晴   


○参加することに意味がある
 「自信がない」「恥ずかしい」「作品ができない」等々、未だ研究会に作品を出さない方が大勢います。とにかくなんでもいいから思い切って参加してみませんか、加工しないストレ-トの写真でも結構です。ただ創るだけでは意味がありません。始めて大勢の目にさらすには勇気がいりますが、見せる楽しさを味わってください。いやだ!いやだ!と、いいながら、一度唄ったらマイクを離さないカラオケのような心理になるものです。「この作品酒の肴にしてください!」「笑ってください!」「貶してください!」と遊び心で送ってください。
 本会の目的は、デジタルフォトによる表現の創作並びにそれらの研究です。このことを軟らかく言い直せば、デジタルフォトによる創作と遊び心を持った有志の親睦の会でもあります。見せるスリリングをストレス解消に転換してください。その機会が作品展であり、毎月の研究会という機関です。

○馬鹿馬鹿しいが面白い
 研究会の集大成、夢の配達人2009も今年で第7回、60数名の参加でした。団体展の特長は、展示された仲間の作品を観賞咀嚼しながら、自己の創作意欲を刺激すること。つまり他人の作品の長所だけを盗むことです。「なんだこれ??馬鹿馬鹿しい!だけど面白いね!」デジタルフォトの楽しさの一つに、このような奇抜な発想による作品があります。しかし、その作品を講評しろと云うことになると話は別です。人生観・世界観に無知なので、作品を把握できず、
 的はずれの講評をすることも十分承知していますが、作者の意図が理解できなくも、結果が「・・・面白い!」「・・・綺麗!」などと鑑賞者側に感動するものが伝われば良しと都合よく考えています。
 と、云う訳で毎月の作品研究では、送られて来る力作に対し、随分勝手なことを言わせてもらっています。聴く側もあの2人(堀田先生と私)が何を喋るか、興味津々と耳をそばだててスクリ-ンを見ているのではないでしょうか。
 出品する作品には常に[馬鹿馬鹿しいけど面白い]というのが登場してきます。この[馬鹿馬鹿しいけど面白い]という作品は、作者それぞれの想像によって創作した、政治・教育・文化・など世相を風刺した力作で、「馬鹿らしさ」と、「面白さ」が調和した見ごたえのある作品で毎回驚きをかくせません。おこがましくも、その様な作品を講評という立場で参加しているのも、「馬鹿馬鹿しいが面白い」からで、とても楽しく有意義なひと時と感謝しています。
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by yumehaitatu | 2009-07-05 09:21 | 写真雑学 | Comments(0)