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やぶにらみ論法103 【展覧会から学ぶ】堀田義夫   

やぶにらみ論法103 【展覧会から学ぶ】堀田義夫

まもなく「夢の配達人展」があるが、最近仲間たちとグループ展を開いた。

 そこで私の個人的な観察によると、展覧会を見てくれる人たちのなかに大きな過ちを犯している人が多くいるように思えた。

 「この写真何ミリで写した?」「そんなに長いレンズじゃないよね、100㎜くらいかな?」「こうした写真はやっぱり望遠だね」「ボケ具合がいい。絞りはいくつくらいなんだろう」といった調子で、作品の内容に触れることよりも関心はもっぱら技法なのだ。

 またモノクロプリンとなると、「プリンターはなに?」「用紙はどこの製品、その銘柄は?」と執拗に聞いてくる人もいる。

 それは写真の撮り方やプリントのお勉強会とでもいった見方だ。写真展を見て、上手い撮り方をする、綺麗なプリントだといった作例写真という見方しかできないというのは情けない。いまのカメラやプリンターの性能はそうした技法の習得を必要としないほど進化している。技術力を評価していた過去の価値観は捨てるべきです。作品を見てなにを感じ何を読み取るといったことが抜け落ちていたら、写真は薄っぺらなただの画像でしか過ぎないとわたしは思っています。 驚いたことに観客の方から、「作品が作者それぞれバラバラで、見にくい!」といった指摘もあったことです。

 「風景写真が好き」「花の写真が好き」といったように写真の分野の同好会としてまとまるということも腕を競い合うという意味ではいいのかもしれないが、いまは写真の趣味はシニア世代が中心だが、コンピュータ社会の中にいる今日のシニア世代は昔の同世代とは写真の感性が違うはず。写真上達法をお勉強する時代じゃない。

 私たちは、それぞれがそれぞれの方法で撮っている写真を持ち寄って、見せ合い語り合ったりしながら、写真展を開き、写真集に纏めている。金太郎飴でもあるまいし、指導者がいて、みんながそれに右に習え!といったグループ活動は望まない。

 ○○写真が上手に撮れましたという成果発表のような写真展では、心ある写真愛好家は物足りなさを感じるだろうし、共感も得られない。それぞれの作者が何を考え、写真で何を表現しようとしているのかを見てもらいたいと思っているのに、そうした期待を裏切っては申し訳ない。

 わたしの作品について多い質問は「はじめからこうしたイメージがあったのか?」ということだった。私がその質問に「モチーフ(写そうとした動機)に遭遇したら、とりあえず写します。それを何度か見ている内にイメージが湧きます」と答えると怪訝な顔をする。

 作品を制作するということは遊び心が必要。いまのカメラは「ちゃんと写る」んです。だからちゃんと遊べば、ちゃんと遊んだ心が観客に伝わる。「こんな写真見たことない」といわれれば最高の賛辞だと思っている。と答えて煙に巻いていました。まもなく「夢配展」です。大いに遊び心を楽しんでみてください。

疑 心


by yumehaitatu | 2017-09-02 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法 102 8万時間を豊かに過ごす   

8万時間を豊かに過ごす102

 ある識者の説によると、20才で社会人になって定年まで勤め上げたとすると、そのトータルの時間は8万時間になるんだそうです。

 また、定年を迎えて84才まで生きたとすると、そのトータルの時間が8万時間だというのです。

いまは長寿社会になりました。仕事に一区切りついたら、残りの8万時間を自分で人生を設計して豊かに過ごせる時間にしたいと思います。

 私はその時間を有効に使うために目標を決めて行動します。その方法は自分を叱咤する意味を含めて新しい年を迎える度に、年賀状でその目標を宣言しています。

 宣言すれば、無理にでもその方向に自分を向かわせます。最近の5年間を振り返ると、

 ※ 2013年;

 あなたが、そこにいるだけで その場の空気が明るくなる あなたがそこに、ただいるだけで みんなの心が安らぐ そんな、あなたに私もなりたい (相田みつを)

金平糖にように角のある自分の性格をこの詩にある「あなた」のようにしたかった。

 ※ 2014年;

 過去を追うな 未来を求めるな いまなすべきことをしっかりとせよ(マハトマ・ガンジー)

過去の栄華を思ったり、未来のことを夢見ることをやめて、いま直面している問題を一生懸命やることだと、自分を叱咤するつもりで目標に掲げた。

 ※ 2015年;

 歳を取っても 人から必要とされる人間であり続ける努力をする (外山滋比古)

歳を取ると、何事もネガティブに考え行動する。60年を超す写真という趣味に飽きないのは写真が好きだから、飽きない道だから、いつも新しく、いつも生き生きして、人に頼られる存在でありたいと願う気持ちから宣言した。

 ※ 2016年;

 生きているうちに 働けるうちに 日が暮れぬうちに (相田みつを)

エンジンが古くなると、掛かりが悪くなる。それを警戒して、相田みつをさんの詩を念じ生活習慣に定着させる目標を掲げた。

 ※ 2017年;

 振り向くな振り向くな 後ろには夢がない(寺山修司)

いろいろのことなど知らなくていい。限りのないことだもの。それより一つのことをハッキリ知った方が良い。それは自分がなにをやりたいのか! ということを。

 だが、そうした目標は立てるのですが、どれもクリヤーできた訳ではありません。目標を立てて、それを遂行する手段としてやる。結果はどうであれ、やらないより、やった方がよいに決まっているからです。

 しかし考えれば、このことは自分の生きざまを飾るために知者・賢者の名言を剽窃して、小賢しく生きてきたことに気付きました。これは銀行から多額の借金をしながら、あたかも自分の財産と錯覚しているようなものです。

 これからは自分自身の預貯金で、身の丈に合った生きざまを心懸けなければならない。

時間の使い方は命の使い方だから…。残った時間を写狂老人はいま、「老いの花道」という表題で執筆中です。

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by yumehaitatu | 2017-07-01 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法101 展覧会を考える   堀田義夫   

展覧会を考える                 201749

 フォトドリーム展も幹部の方々と会員の協力で終わった。私は結果として成功だと思う。ただ、隔年開催という展覧会は固定ファンがつきにくい。1回見そこなったら、3年間は見なかったことになる。それにもかかわらず、多くの熱心な観客は見に来てくれたのだから…という自分を納得させた上での評価だ。

 いま写真の愛好者は大きな岐路に置かれている。それは高齢者層と若年層では写真文化の受け取り方に大きな変化が生じているからである。

 社会現象として若年層はSNS(ソーシャル・・ネットワーキング・・サービス)を利用して必要な情報を簡単に手にすることができる。そのため特別な理由がない限り、わざわざ展覧会場にまで足を運んでくれない。いきおい展覧会を見に来る人たちは高齢者が多いという現象に陥っている。

 だいたい展覧会に行ってみようと思うにはいくつかの動機がある筈だ。私の場合は次の3つが基本になっています。

 ①;自分と自分に関係する組織などで知り合った人のために義理で見に行くケース。

 ②;自分が尊敬したり、憧れている作家が出品している展覧会には、今年はどんな作品を発表しているのかという期待感と、自分を啓発し、学ぶために足を運ぶケース。

 ③;有能な作家を擁した公募展などには、ときの写真文化の流れを知るために足を運ぶケース。

   などがあります。以上の姿勢は観客としての立場から考えてのことだが、自分が出品者の場合は、また違ってくる。

 ①;自分の作品の前にいかに長く観客の足をとどめ置くことができるか。

 ②;観客の反応はどんなものなのかという不安と期待感。

 という個人的な想いがあります。

 しかし、主催者として展覧会が成功か不成功かを考えたときには、また、別の工夫が要求されます。それは、観客から、来て見てよかったというと満足感を与えられることができたか?である。それのことは、

 ①;他の展覧会では見られない差別化を図られている。(作品の独自性・会場構成・観客対応)

 ②;作家と観客の接点の工夫されている。(人との出逢い・知的財産の共有・知的刺激の供与)

などがあると思います。

 そうした点では、今回のフォトドリーム展は小間康嗣さんや大川元一さんの、この展覧会の良かった点として制作手順が掲示されていることに観客が大いに関心を示し、会場内での滞留時間が長かったと、制作手順書の掲出が効果的だったという分析結果を聞かしてくれました。

 出品者にとってはレシピの制作に負担を感じ、敬遠される向きあるようですが、私は上掲のように、

それぞれの立場や時の流れを勘案したとき、多少の難しい問題を含んでいても、自分たちの展覧会に少しでも魅力を持って貰うためには避けて通ってはならない気がします。怠惰に前号踏襲の姿勢に流されていては、展覧会の持つ意義は失われる一方です。幹部を含め会員の方々の協力を得てデジタルフォト研究会だからこそできたという、時代に沿った展覧会を続けて欲しいと思う。
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by yumehaitatu | 2017-05-06 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法 堀田義夫 御輿人生   

御輿人生   堀田義夫

 「厳寒の雪国の写真を撮りたい!」そんな想いを西垣会長が会食の席で話したら、堀井裕子さんが青森の尻屋崎地方にいまも伝わる小正月の素朴な「餅つき踊り」と、「寒立ち馬」を撮影する企画があるから参加しないかと誘ってくれた。

 出発当日、東京駅に西垣・大嶋・堀田が顔を揃えたが、案内役の堀井さんがきていない、そして西垣さんに電話が入り、トラブルが発生したので指定の列車には乗れないので先に行ってくれという連絡が入った。一抹の不安はあったのですが仕方がありません、とりあえず新幹線で八戸駅まで先に行くことにしました。

 八戸駅では、「堀井さんから連絡があったので迎えにきた」といって、一昨年私たちが撮影でお世話になった顔見知りの某企業の役員の方が出迎えに見えて、すぐさま撮影ポイントに案内してくれました。

 その人は私たちが撮影している間に、次の列車に乗ったはずの堀井さんを再び駅まで迎えに行き、一時間遅れでやっと合流するといったハプニングがあって慌てましたが、勤めを休み、社有車を使って我々のため心を遣ってくれたことには恐縮しました。聞いてみると、社長さんも承知の上だという。

 このことを含めて私たちの五日間滞在中は、靑森県写真連盟、靑森コンタックスクラブ、靑森二科、鶴田写真クラブ、靑森テレビなどの方々には、撮影地の下見、その日の天候に見合った撮影地の選定、交通手段として車の提供などといったことで大変お世話になりました。

 そうしたことができたのは、前出に某企業の社長さんと書いたが、実は青森県下はもちろん東北地方では有名な、三八五ホールディングス代表・泉山元氏のお力添えがあったためだと知りました。

 その泉山社長が前出の方々と一緒に私たちを夕食に招いてくださった。いろいろ会話が弾む中で私は周辺を取り巻く人々との会話や、和やかさ、人脈の広さ、などを実感したので 「社長の生きざまは、御輿人生だと思いますよ」と感想を口にしたのです。

 社長はすかさず、「確かに周りから担がれていることは承知しています。そして僕のやっている行動から、周りに担がれていることも知らない御輿のような人生だと思うかも知れませんが、御輿は担ぐ人がいて、担がれる人がいなければなりません。担ぐ人がいなければただの箱です。御輿人生の基本は人との付き合いです。このことには心を砕いています。先生の一本の杖という本も読ませて貰いましたが、来る人は拒まず、去る人は追わずという信条には賛成です。だが、担ぐ人、担がれる人がいる中に、担ぐ振りをして、ただぶら下がっているだけの人もいます。そうしたことを見極めることは大切ですね」と語っていたのが印象に残りました。

西垣さんが「厳冬の雪国の写真を撮りたい!」と言った一言で、その御輿を担いだ堀井さん、その御輿を担がせたのが泉山社長、その社長の意向を汲んで堀井御輿を担いだのが青森県下の写真家たちと関係者の方々。そうした恩恵で、楽しませていただいた今回の撮影の旅は、かなりの強行軍だったが御輿人生を実感し、多くの教訓が得られた撮影行だったと思っています。いまからでも遅くない!これからは、人から担がれる御輿人生を心懸けなければならないと強く思いました。

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by yumehaitatu | 2017-03-04 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法99「越智祥之 Final Shot」  堀田義夫   

やぶにらみ論法99「越智祥之 Final Shot」  堀田義夫

新しい年を迎えました。昨年を振り返ると8月には本研究会の2代目会長だった、越智祥之さんが黄泉の国に旅立たれたという悲しい思い出がありました。

平成16年でした「俺の夢を実現させたいので力を貸して欲しい」と彼と酒を飲みながら話したことがありました。即座に「あァいいでしょう、やりましょう」という返事が返ってきた。なんのために力を貸せと言ったのではないのに、そのときは失礼だが[軽い男]と思ったのです。

私は越智さんのマネージメント能力を高く評価して誘ったのです。後日、何で軽々しく私の誘いに乗ったのかを聞いてみたら、「夢を持ってそれをやろうとする、先生の姿勢に共感したから…」と答えてくれました。私は時代と共に歩む写真文化を望んでいたのです。その夢の第一弾として、ある有能な作家をゲットするように依頼したのですが、アタックした結果は不調に終わったという報告は受けました。

それは「一度声をかけてダメなものは無理に誘っても戦力にはならない!」と常に私が言っていたからその話は終わったものと思っていました。

そして3年。その作家が当研究会に入会するという話になりました。それは3年間その作家と個人的にネゴを取り、当研究会の活動情報を提供しながら、やっと口説き落としたらしいのです。その作家はいまでは当研究会では余人を持って代えがたい人財に育っています。撮影会・旅行・展覧会といった諸行事には、親身になって会員のために行動してくれました。だからいつも多くのファンに囲まれていました。

また歴史に深い関心や知識を持ち、私があるとき本で読んだ曖昧な記憶から[道元上人]と言ったことを聞きとがめ、[上人]というのは僧侶の敬称だが、[道元禅師]と呼ぶのが正しい。[禅師]の称号は禅僧が朝廷から賜る称号なのだと教えてくれたことがあります。

若い頃、自分を知識人に思わせるためにいろいろの本を読みあさり得た知識は、言ってみれば、銀行から大きな借金をするようなもので、決して自分の財産ではないということを知らされたのはこの越智さんの指摘からでした。そのときから私は借金人生から脱却することを心がけ、自分自身の財産を自分で作らなければならないことに気付きました。

私の仲間が今年2月に個展を開くつもりでいます。その人が自分の個展の一部の壁面を提供して越智さんの遺作をかざってあげたいという申し入れを受けました。その作家の越智さんへの想いや、熱意に押されて私もコンセプトの組み立てや作品の選択、プリントで協力することを約束させられました。

越智さんは写真界を生業の場として勤めを果たし、卒業後は人脈の広さ、万民から愛された面倒見の良さ、卓越したマネージメント能力で当研究会に大きな功績を残しました。写真文化をこよなく愛し、人生を写真で締めくくった感のある「越智祥之Final Shot」をいまは是非、皆さんに観ていただきたいという想いでいっぱいです。
      越智さん(平成18年)

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by yumehaitatu | 2017-01-07 22:58 | やぶにらみ | Comments(0)

 「やぶにらみ論法」98     大人気の美学  堀田義夫   

 「やぶにらみ論法」98     大人気の美学  堀田義夫 2016/10/14

 平成28年10月11日~16日、当研究会の会員、大嶋丁未子・高橋洋子・堀井裕子さんが昨年に引き続き「昔姫・3人展」を開催した。私は、連日会場に詰めて多くのことを学んだ。

その第1は、大胆な会場の設定

 貸しギャラリーだから、1メートルでも展示壁面を広く使いたいと思うのが普通だが、その壁面の2割に当たる部分の壁面を撤去した大胆さな会場構成だ。エントランスホールから会場の全景が目に飛び込んでくる。賃貸料の2割を、会場構成費に消費されているのだが、男社会では、必ず「もったいない」と言って反対される。そんな大胆なことをやってのけた度胸の良さは見事、昔は「男は度胸、女は愛嬌」といっていたが、いまは時代が変わって異性文化には、前例にとらわれない度胸の良さがあると思った。

第2として、展覧会の原点を問う姿勢

 もともと17世紀フランスで広まった「サロン」という言葉は、名士たちの応接間、あるいは社交場として美術団体の定期展、音楽家の演奏会などが併催された。そうした意味では、作品の制作者と観客が共に楽しい雰囲気に浸れる空間でなければならない筈だが、日本では展覧会場で大声で話し合ったり笑ったりすることは御法度なのだ。国民性なのかも知れない。

 ところが、「昔姫・3人展」の会場はまさにサロン化していて、作品を見ながら作者と観客との会話が弾み、文明・文化論まで飛び出しその賑やかなこと、長い人になると1時間くらい帰らない人がいる。

 それは作家たちの人柄や気遣いもあるのだろうが、会場の雰囲気が柔らかく他の展覧会と比べ大きく違う。その違いを観察すると、作家たちの目線の低さにあるように思えた。

 例えば、鑑賞者の知りたいことについて専門的技術論やメディア論はもちろんだが、どこで撮ったの?どうしてこんなところを知っていたの?私の故郷の近くだけど全く知らなかった、今度行ってみたい。

 私も行ってみたいけど、いまではとても行けない!、珍しいとこを見せて貰ってとても嬉しい、こんな所で生活している人は可哀想、などと観客と作家が目線を合わせながら対話の広がりを楽しんでいた。

 俺たち、私たちのやっていることを見せてやるんだといった高所からの目線を感じない。素晴らしい雰囲気の漂う展覧会だと思った。

 尊敬される作家はそれなりの振る舞いが要求される。それは“大人気”である。「大人気」とは自分を引くことだ。他人(観客)にとって良いことのために、自分を少々犠牲にしても、さりげなく振る舞う姿勢が大切なのである。一般的には売れっ子作家になると真っ先に失うのがこの「大人気」である。自己PR・承認欲が優先してしまう。そうしたことでも作家たちの心配りには遺漏がなかったように思う。

第3は作家たちへの羨望

 靑森から来た、奈良県から、静岡県、千葉県、埼玉県からといったように遠くから駆けつけた観客とお目にかかり懇談する機会を得た。これは出品作家の人徳のなせる業だ。ただただ驚くばかりです。

 実は昨年も私はその人たちにお目にかかっている。ということは毎年足を運んでくれているのだ。写真を通した厚いお付き合いをしている出品作家の人徳には敬服する、私たちが自慢の仲間たちである。
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by yumehaitatu | 2016-11-05 17:01 | やぶにらみ | Comments(0)

写真は売れる(97)      堀田義夫   

写真は売れる(97)          堀田義夫
 最近経験したことだが、東北大震災支援チャリティー展・熊本地震義援チャリティー展などに出品を要請されたので仲間たちに呼びかけて協力することにした。
 そのとき感じたことは、仲間たちの「写真なんかどうせ売れっこない!」という反応だった。だが、参加しての結果から、“写真は売れる” ということを確信した。
 具体的には、5月に開かれた「手工芸作家協会」主催のチャリティー展(慈善金集め)では、私が出品した10点の作品の内9点が売れた。
 もちろん買ってもらった中には趣味の仲間や知人が義理で買ってくれたこともあるが、皆さんの善意に頼るのがチャリティーなら、義理だろうが、迷惑をかけようが、それも許されると思っている。
 そうした仲間や知人たちの応援を得て、個人としての売り上げでは一番多かったと会長さんから感謝された。ちなみに私が出品したのは“堀田義夫「繪写真の世界」”の版画のカテゴリーの作品だ。
 ところで、こうした展覧会は作品の売値の上限値が決められていることが多い。そうしたとき私は上限に近い値をつける。「写真なんか売れない!」ということが世間の常識なのかも知れないが、私は写真じゃなくて作品を出品している。だから良ければ買い手は現れると思っているからだ。
 6月に行われた画廊主催のチャリティー展ではオーナーから「いくらにしますか?」と聞かれて、「いくらでも良いよ」と言ってきたという仲間がいた。
私はそれは違うんじゃないと思う。自分がチャリティーの趣意に賛同して参加したのなら、自分の自信作?を提供するだろう。それをゴミ扱いとまでは言わないが,「いくらでもいい」なんていうのはおかしい。作品が可哀そうだ。
堂々と作品に見合う値段(上限値は決められているからそれを勘案して)をつけるべきだと思っている。
 会期中にそのチャリティー展を開催している画廊に立ち寄った。オーナーがお客さんと作品の前で話し合っているところだった。私の顔を見たオーナーが「あら、先生丁度良かった、このお客さんがとても気に入った作品だといって私にいろいろ聞くんだけど、私写真のことがよくわかんないんで困っていたの」そしてお客に向かって「作家の先生です。この人に聞いてください」といってお客さんの前から離れた。
 そのお客さんは「気に入った作品と作家さんに会えたのも何かの縁、買わせてください」と商談成立。 オーナーは、こんなに写真が売れるとはいままで思っても見なかった。といって驚いていたが、デジ研から出品した3人の4点の作品は2日目にはすべて売れきれてしまった。
 写真をやっている人たちが「写真なんか売れっこない」と思っているのは錯覚でしかないのです。もし、売れないとすれば、それは既視感のある「なぞり写真」だからだ。買ってくれたお客さんの反応は「これ写真なの?」と異口同音に驚いていた。その理由は、いままで自分が持っていた写真の概念と違った、写真の別の顔に気付かされたことが作品を手元に置いておきたいという気を起こさせるのである。
 今回の夢配展でも、小閒さん・曽我さんの作品に関心が持たれて商談が進展していると聞く。斬新な作品なら、手に入れたいと思う人は必ずいる。そうしたことを感じた。
潮騒の町
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by yumehaitatu | 2016-09-03 17:33 | やぶにらみ | Comments(0)

堀田義夫の「やぶにらみ論法」 (96) 川柳に学ぶ    

 堀田義夫の「やぶにらみ論法」 (96)  

川柳に学ぶ 

 もうすぐ「夢配」が始まる。展覧会に出品するからには、「この人は過去と今年の作品ではどう進化しているのか、あるいは、どんなメッセージを発信しようとしているのか」という期待があるだろう。そんな思いが頭をかすめると、いい加減な作品は作れない。

 だからといって見る人を意識するあまり、鑑賞者に媚びた作品を創ろうというつもりはない。趣味・道楽は人のためにやるもんじゃなくて、自分の人生を豊かにしたいからだ。

 「夢配」の、フォト575には残念だか作品ができなかった。そこで気になる句を並べた。

“年とって 飲み込み悪い 喉と脳” は確実に進行中で、新しいことや食事が思うように飲み込めない現実に直面している。その575でいろいろ思いを巡らすと、

“生きざまは みんな違って 趣味の友” という川柳は、シニアの世界では過去に生きてきた知的財産を豊富にお持ちの人がいる。そうした人たちとの出逢いに感謝する句だ。

“年齢の 重ね方にも うまい下手” という句もある。趣味を持つ人と、一日中テレビを見て、暇をもてあそんでいる人では、大きな違いだ。趣味は人生を豊かにしてくれる。

“おやつほど 薬飲まされ カラ元氣” 透析で週三回病院に通い、食前食後に飲む薬の量に驚かされる。それでも写真を楽しんでいる仲間もいる。凄い生きざまと見習っている

“医薬より 元氣にさせる 褒め言葉” といった川柳もあったが、展覧会やグループの例会などで作品を発表した時の気持ちを詠っているようだ。私なども「お年に似合わず、作品はお若いですね」などといわれようものなら舞い上がってしまう。

“常識を 脇においとく 好奇心” など、私の作画姿勢に通じて好きな川柳だ。こうしたらいけないんじゃないか? 人がなんていうだろう? なんて考えなくていい。

“人間の 五感錆び付く IT化” インフォメーションテクノロジーが浸透し,感性の豊かな作品にお目にかかり難くなってきた。手段が目的になっている作品が多い。

“定年後 話し相手は 妻と医者” というのがある。 年をとってから一番の敵は、人と話し合う機会が減ることだろう。人と話し合うとき、脳は緊張し交戦状態になる。言い負かされないようにいろいろ思考をめぐらす。そうしたことによってボケを遅らせる効用があると私は思う。そうした意味では、

“輪の中の 笑顔に写真 やめられず” といった心境だ。そうした中でも気を遣っていることがある。

それは人様の作品から学ばされるているという自覚だ。

“前例が ないと新芽を 摘み取られ” といったことを警戒する。パスカルが言った「人は自分が理解できないものは、何でも否定したがる」 と。指導者側は新しい芽を見つけ、育てることが大事。

“どこ見ても 女ばかりの コミュニティー” ある美術団体の総会に出席したら、ひな壇に並んだ人は会長を除きみんな女性だった。改めて、女のパワーを知らされた。デジ研も女性の力をもっと活用したらどうだろう。

“ご高説 止めた子供の 大あくび”   あくびの出ないうちに筆を置くことにする。
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by yumehaitatu | 2016-07-02 16:51 | やぶにらみ | Comments(0)

堀田義夫の「やぶにらみ論法」(95)   

堀田義夫の「やぶにらみ論法」(95)

【生き甲斐を見つける】

 329日のデジタルフォト研究会の「上野」の撮影会に参加した。絶好の撮影日和に恵まれて多くの会員が集まって盛大な撮影会になった。参加者の多くは動物園に向かったが、私は西垣・大嶋・渡利さんたちと科学博物館から芸大・谷中などを彷徨して撮影を楽しんだ。

 谷中の街中で塗装工場の入り口に奇妙は人形を見かけた。「撮影して良いですか?」と尋ねたら、「アァ良いよ!」と気さくな返事か返ってきた。

 私が撮影している間、ご主人はじっとそばに立ってみていた。そして私に問いかけてきた。「こんなものを写してなにが面白いんだい?」。この質問には正直返答に困った。

 そこで、「なんで、こんなものを作ったんですか」と逆に質問してみた。

 工場長だというその男の人が話したことは、「数年前に東北に大震災があっただろう。そのとき、生きているうちは、何が起こるか解らないもんだと思ったが、時が経つにつれてその記憶は薄らいでしまった。だが、よく考えると、生きるためにいろいろと普段から要心しなければといったことが意識の中に刻み込まれたんだろうね。

 もともと何かコツコツ作ることが好きだったんで、いろんなものを作っているうちに気がついたら、こんなものができちゃったんだよ。だから、何で作ったかと聞かれても理由なんかないよ」とにこやかに話していた。

 

 仲間の一人が、この作品は胸の辺を見ると女性なんですよね。と問いかけたら、「そんなことは、どうでもいいんだ。アートは、説明のために作るんじゃないから… 本当はこんな筈じゃない!といったことが織り込まれていなければ、人の関心を引くことは難しんじゃないの」と、全く意に介していない。

 そして言葉を続けた。

 人は生きているうちは意気甲斐を求めるもんだ。僕は生き甲斐ということを6つに分類している。といいながら、

第一は、生きる悦びや満足感を得るために、自分は何が好きなのかを知ることだ。

第二は、世間様の役に立つことによって,生き甲斐とする人間でありたい。

第三は、生活に活力、張り合いを持つためには、健康管理に気を配る、条件付き健康でも良い。

第四は、自分を向上させる、レベルを上げるために,人間関係・人脈を確保することに努める。

第五は、安らいだり、気晴らしできる趣味を持つ。そうした心の余裕が大切。

第六は、生きる目標や目的をしっかり持つことだ。テレビと睨めっこしていてはダメ!

 こうした生き甲斐を持つ人と、持たない人とでは大違いだ。親子ぐらい年の違うおじさんに偉そうなことをいってゴメンね。おじさんも頑張りなさい!と励まされた。心に残る撮影会だった。

             「変な人形」
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by yumehaitatu | 2016-05-07 15:02 | やぶにらみ | Comments(0)

やぶにらみ論法(94)  100点仕事と60点仕事   

100点仕事と60点仕事(94 2016/02/08

今年の抱負に、「生きているうちに 働けるうちに 日が暮れぬうちに」という相田みつをさんの詩を掲げた。

川柳に 「年老いて 飲み込み悪い 喉と脳」 というのがあったが、年を重ねるごとに,やらなければならない仕事を先送りにしてきたと感じたからだ。

 思いついたこと、やらなければならないことも若い頃に比べると、失敗しないように、人から認められるようにと思う途端に、だんだん臆病になってきた。

 ところがこの考えは誤りであることに気付いた。それは仕事はすべて100点を取らなければダメ!という妄想を持っていたからである。

 60点でも良い、その60点をたたき台に、残り40点は他人との議論を進めながら埋めていく、いわゆる他力本願の気持ちでやるんだと余裕を持った方がよいと気づいた。

 こうした考えをわたしの主宰する写真団体瓢蟲社の柱として「意見は言うべし、決定には従うべし」と織り込み済みと自分では思っていたが、実行がともなっていなかったと思った。

 人が議論をするとき、脳は交戦状態になる。このことは若さを保ち、少しでも惚けを遅らせる最も有効な方法であると思っているから大いに歓迎したいのだが、戦前の教育を受けた私らは、聖徳太子の「和をもって貴し」と教えられ、他人と協調する、仲良くすることを美徳と教育されてきた。だから無闇に人と言い争わないことを心がけた。

 ところが敗戦後はそうした風潮は影を潜めて、欧米風に自己主張の風潮が定着し「徹底的に議論を戦わすことによって、良い結論が得られる」といった考えが定着した。そして私もその考えに従い主宰する写真団体瓢蟲社の活動に、その思想を取り込んだのである。

 だが、実際に「よりよい意見」をぶっけられても、「俺の意見を否定しゃがって!」 と、憤りを感じるのが一般的な人間の反応だ。そのため議論は脳を交戦状態にすると前述したのである。

 議論などというものは、口の達者な声の大きい人が、その場を制圧する。だから私は「徹底的に議論をすれば,良い結果が生まれる」とは、単純に思っていない。

 議論慣れした人なら、自分の考えのどこが間違っているかに気付き、考え方を変えることができるが、どうも日本人は議論下手が多い。また、自分の意見は間違ったと気づいても修正したがらない。それは自分の考えは間違っていない! と100点満点の評価を期待するからだろう。

 ところが最近目にした書物に「一流の店長ほど休みを多く取る」ということが紹介されていた。内容は、自分でする仕事と、他人に任せる仕事を上手に仕分けるから、結果としてすべてを自分でやらなくても、スムーズに権限委譲ができて、チームワークがよくなり業績を上げることができた。すなわち60%の仕事しかしなくてすむ。と

 ところが真面目な人や向上心の高い人ほど、何でも自分でやらないと気が済まない。「自分がやった方が早い」と、100点満点を目標にする。しかし、こうした人には後継者は育てられないと思うのだ。

 本研究会の2016年度の総会で、活動内容の説明を聞きながら、この「一流の店長」の姿がオーバーラップした。これからも一流店長はじめ一流役員さんによろしくご教導願いたいと思った次第である。
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by yumehaitatu | 2016-03-05 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)