【後ろ姿】 堀田義夫   

 会員の夏目克幸さんの訃報に接したのは、11月21日に行われた“秋の高尾山、青梅”の撮影会から帰宅した直後であった。
 二日前の19日に見舞いの便りを送ったばかり、そして撮影会後にハマ展の表彰式に出席の予定をキャンセルして帰宅した直後にこの訃報に接したので、偶然とはいえ、なにか虫の知らせとでもいったことがあったとしか思えない。
 夏目先生とは、中学校の校長を終え、コミニユティーセンターで指導主事としていた頃からのお付き合いだから15年くらいになる。「ヌーボーとした男」というのが私の第一印象だった。
 「ヌーヴォー」というのはフランス語で「新しい」という意味をもつが、我が国では「ヌーとして、ボーとした掴みどころのない男」ということで使われる。だが私が「ヌーボーとした男」と感じたのはその意味とはちょっと違う。「細かいことにこだわらない人柄は、つまらない論議には加わらない、それでいて何か発言をされると、全く新しい次元で我々とは違った考え方を披瀝してくれた」からである。
 いま先生の後ろすがたを思い返すと私に多くの教訓を残してくれた。その多くは長い教職者の経験を通した人生訓だ。
 たとえば「教師として完全と思われる人は案外ダメなんですよ。それは自分は完全だからと思って、指導者ではなく、支配者になってしまうんですね。自分は教師としてダメなんじゃないか、未完成な人間だと思っている人は、未完成な人間の立場が理解できるので、共に育つ(教育とは違う共育)が出来ると思うんです」と語っていた。
 また「趣味だとか道楽の指導者は、知識を教えることではなく、その人の感性と情熱を育てることではないでしょうか」とも。そして理想的には「よいところは大きく育て、悪いところは徐々に小さくするということができたらね」とも話しておられた。
 いま、こうして夏目先生の後ろすがたを回想していると、書家であり、詩人・染織作家・宗教者でもあった相田みつをさんの「後ろすがた」という作品が脳裏をよぎった。
【後ろすがた】
 じぶんのうしろすがたはみえねーんだなあ
 じぶんには
 夏目先生もきっと自分の後ろ姿は見えなかっただろう。だけどいま私には、確かに夏目先生の大きな後ろ姿が見えている。本稿が個人的な回想に終始したことはお詫びする。しかし夏目先生の遺訓はオピニオンリーダーには有益であると信じたから、あえて取り上げた。これからは自分の後ろすがたを今まで以上に意識しながら生きようと思いました。
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by yumehaitatu | 2008-12-07 09:33 | やぶにらみ | Comments(0)

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