省略は武器 堀田義夫   

 先日、会員の荒井信雄さんがデジタルフォトでインフラレッドに挑戦した新しい試みの個展を新宿で開催したので仲間たちを誘いあわせて鑑賞ツアーを計画しました。その折り、フォトコン誌の選者である中谷吉隆氏の「フォト・ハイ句」展が近くの画廊で開かれていたので、ついでといっては失礼だが立ち寄り、その面白さに魅せられてしまいました。
 門外漢の私が俳句について論じようというのではありませんが、どうも俳句は、写真ととても似ているように思えます。会員の中にも、高張一司さん、大木伊都子さん、小山仁さんといった人たちは俳句に造詣が深いようですが、そうした人たちからの刺激もあってか最近ちょっと俳句に興味を持つようになりました。
 俳句はたった十七音という小さな器の詩ですが、自分の描写したいこと、伝えたいことを十七音の中に封じ込めるわけです。
 伝えたい気持ちを十七音に無理やり押し込めようとするとなんとも窮屈で、調子の悪い句になってしまうでしょう。俳句をすっきりした姿に仕上げ、しかも読み手の胸にストンと響かせるには「省略」という技法がとても大切だと聞かされています。
 先月、恒例の一泊撮影会が日光で行なわれました。戦場ヶ原から赤沼あたりは、最近10年間では最高の開花だと地元の人も驚くほど「ズミ」の花が咲き誇っていました。ベテランの矢守笙治さんは「これで今年の暑中見舞いは決まった!」と感激してシャッターを切っていたくらいです。
 そうした見事な条件の中で写した自分の作品を見直してみると、確かにきれいには写っています
が、胸にストンと響いてこないのです。
「きれいな景色を眺めて、シャッターを切った」といった印象の写真が多かったのです。
 俳句は十七音で季語を織り込み説明を省略して余韻を生みますが、写真もそうでありたいと思うのです。たとえば、自然の美しさを写しとろうとして、見えたモノすべてを、一コマのフレームの中に無理やり押し込めれば、なんとも窮屈で調子の悪い写真になってしまいます。 
 そうではなく、その中の一木一草に自分の想いをつなげて写し込まなければ、自然が持つ美しさには絶対かないません。「その場の情景を説明しようというのではなく、省略を武器に余韻を生む作品を写すべきだったのです。」この鉄則を私は失念していたのです。
「動く葉も なくておそろし 夏木立」という与謝蕪村の句がありますが、この短い十七音で、ジージーとやかましい蝉の声や、風もないうだるような暑さが伝わってきます。今回は自省を込めて写真表現に「省略は武器」ということをテーマで書かせていただきました。
<雲 間>
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by yumehaitatu | 2008-07-05 23:29 | やぶにらみ | Comments(0)

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