堀田義夫の「やぶにらみ論法」(47)~器用と不器用~   

 毎月、研究会で会員が発表される作品は刺激に富んだもので楽しみです。また、何よりありがたいのは、役員の人達のお骨折りで開設されている当研究会のブログです。後日ブログを開けばそのときの感動を再確認できるからです。
 そうした作品を見ていますと、「器用にまとめたソツのない作品」と「不器用だが魅力的な作品」があることに気づきます。
 「デジタルフォト研究会」だから、なんとしてもデジタル処理をしたものでなければならないと思うのでしょうか、器用にデジタル処理をした作品に人気があるようです。
 私はそうは思っていないのです。デジタル処理をすることは作者の「作意・想い」といったことを強く打ち出すための手段でしかなくて、作品の価値とはあまり関係ないと思うからです。
 だから器用にデジタル処理をした作品よりも、デジタル処理は不器用でも中身の濃い作品に目がとまります。
 関西落語の大御所に桂文珍という師匠がいます。若い頃、落語にシンセサイザーやレザー光線などを取り入れた舞台は革新的で印象に残っています。ですから当時は時代の寵児としてマスコミなどに登場する機会も多く、テレビやラジオは週に17本ものレギュラー番組を抱えていたそうです。
 そんなとき、松竹喜劇の大看板、藤山寛美さんと対談したことがあったそうです。話題がテレビの話しに及んだとき、藤山寛美さんの口から意外な言葉が出たそうです。
 「あんさん怖いことやりまんなー そんなモン いずれ終わりますねん。そんなことに浮ついておらんで、自分の道をしっかり見ておかんとあかんでー」といわれたことが胸に突き刺さったそうです。
 さらに「器用な芸は飽きられる。不器用なやつほど、努力するから芸に厚みが増すモンや!」と諭されたそうです。以来、「わしは落語家だ、落語しか生きられん男や」と悟って不器用に生きることを決意したといいます。
 私が育てられたのは「瓢蟲社」という写真クラブですが、瓢蟲社の四天王として認められるようになっても、いつも、そのビリッカス。
 先生からみれば不器用なやつ!と見ておられたに違いありません。そうしたことを仲間に告げたら、ある男が「君は器用じゃない、だから人が10回やるなら、20回やれば人並みになる。30回やれば人並み以上になれる」といってくれました。それからはできるだけその忠告を実践するようにしています。
 不器用だから、いろいろと悔やんだり落ち込んだり、失敗したりしたことが全て自分を塗り込めています。これからはその塗り込められている模様を、“漆塗りの職人”が行う研ぎの工程と同じように研ぎ出す努力をしようとしています。研ぎ出すことによって、身に付いたいろいろの模様がきれいに浮き出してくれることを期待しながら……
                 <光のステージ>
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by yumehaitatu | 2008-02-29 22:20 | やぶにらみ | Comments(0)

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