「やぶにらみ論法」(41)   

堀田義夫の「やぶにらみ論法」(41)
~あァー勘違い!~

勘違い;その1「教わり上手を心がける」
 長いことアナログ写真に親しんできた人が、PC分科会応用編に入会してきた。入会の動機を伺ったら、「あと何年生きるの? 今更デジタルでもあるまい!」と思っていたのだが、友人が「はじめから専門家はいないのよ。誰だってはじめは素人なの!」と背中を押してくれたというのである。
 そうなんです! 定年を迎え、自由にデザインできる希望ある人生を築ける環境が整ったのです。いままで敬遠していたことに挑戦するのは、新しい経験を積むことによって、「新しい発想」「新しい緊張」を生むのです。「今更新しいことを……」そう思うのは大きな勘違いなのです。今年94才を迎えた映画監督の新藤兼人さんは「生きているうちは、生き抜きたい!」と無為に生きることを戒めていました。この言葉の意味は重い。

勘違い;その2「先生」と呼ばれたら注意!
 「先生」という言葉を広辞苑で引いてみたら、①学徳の優れた人 ②自分が師事する人 ③学校の教師 ④医師・弁護士など指導的立場にある人 ⑤親しみ、または、からかって呼ぶ呼称。とありました。
 ある展覧会に行ったときのこと、「先ほど○○先生がお見えになって、私の作品の組み方が悪いとご指摘をいただきました」というので、私は「貴方はどう思うのですか?」と尋ねてみた。「うちの先生はこうしなさいといってくれましたし、私もそう思って出品しました」という答えが返ってきた。 そうなんです。この人にとっての「先生」は広辞苑の ②「自分の師事す
たからといって何助言してやろうと思うきな勘違いで、ただ、試されているだけなのです。「先生」と呼ばれたら、まず広辞苑のいうところの ⑤「からかわれている」と思った方がよい。

勘違い;その3「写歴の長さを自慢しない!」
 私は来年で写真をはじめて60年になる。だからといって、写歴の長さを自慢しようとしているのではない。よく俺は写真は○○年やっている。という人に出会う。そのたびに、それだけやっているのにその程度なの?と聞いてみたくなる。長けりゃいいってもんじゃない。これも勘違いだ。

勘違い;その4「私だったら……と言ってはならない!」
 アマチュアの例会などで、注意して聞いていると、「私だったらこうします」といって指導している人を目にする。冗談じゃない、あんたの好みの写真作ってどうなんだと聞きたい。指導するということは自分の経験を押し付けたり、知識を教えることじゃない。その人の感性を磨くお手伝いができてこそ指導することの本質なのです。私たちの身の回りには、数え切れない程の「あァー勘違い!」が蔓延している。お互いに気をつけようではありませんか。
      <奇峰>
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by yumehaitatu | 2007-09-03 09:30 | やぶにらみ | Comments(1)

Commented by n.n at 2007-09-05 10:10 x
仏ガ浦私の好きな写真です。来年行ってみようかなと思います。

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