やぶにらみ論法(36) ~アマチュアは贅沢であるべし!~   

やぶにらみ論法(36) ~アマチュアは贅沢であるべし!

 今回はある写真コンテストの審査で体験した ことを書きましょう。その審査では複数の選者がいたが一人の選者が、どうもほかの選者と作品の評価が合わないのです。
 すなわち「ピントがいい」「露出が合っている」「いい色が出ている」といった、技術的なことにすごくこだわるのです。
 その人は、長い間、写真の世界を技術で生き抜いてきたという自信と、誇りがあったのでしょう。だが、わたしの考えでは、これからプロ写真家を目指して写真をやっている人を対象にしているわけではないので、技術比べみたいな評価尺度で 作品を評価する姿勢に疑問を感じてしまったのです。
 もちろん「写真を撮る技術が上手い」と言われることを期待してコンテストに応募する人もいます。しかし、そうしたアマチュア写真愛好者は  全体から考えるとごくわずかな人たちでしよう。
 多くの写真の好きな人たちは、好きな被写体を好きなように撮りたい。止むに止まれない心の 琴線に響いたものを、可視的な形にするために 写真というメディアを借りて写したい。と思っているのではないでしょうか。
 印画のトーンがいい、描写がいい、フレーミングが的確だといった「写真のうまさ・技術の高さ」を評価するのは、玄人を志す人にとっては基本的なことで、もっとも大事なことだが、アマチュアが写真を楽しむ姿勢を考えると、問題にならない。
次元の問題を評価しているように思えるのです。
 言いかえれば、この人はアルチザン(職人)で、技術は優れているだろうが、芸術の本質に触れないで作品を評価していると思われるのです。
 ところがアマチュアは、アーティスト(芸術家)として作品を作ろうとしているのです。その違いがわからないのだとわたしは感じました。こうした技術偏重の選者が、写真愛好者の遊び心を封じてしまい、冒険心を失わせてしまうと思います。
 自分の実力を客観的に第三者に評価して貰う機会を持ちたいという気持ちは誰にもあるでしょうが、こんな選者に出会ったら、逆に、自分のやりたい  こと、あるいは自分の感性の芽をつみ取られたり、つぶされてしまいます。その結果、自信を失うことだってあります。
 江戸川柳に「芸人に上手も下手もなかりけり、  行く先々の水に合わねば」というのがありますが、これは芸人の芸に対する観客の反応は、土地柄や 風習の異なるところでは、いかなる名人芸も通用しない、逆に拙い芸でも、その土地柄の水に合えば  十分評価される。というのです。
 さいわいアマチュアの写真界は、先生は生徒を 選べません。逆に生徒が先生を選べるのです。そうした図式の中にあるから、自分の水に合う好きな クラブを選び、好きな指導者に学ぶといった選択肢で自分の居心地を確かめる。そのためには「アマ  チュアは贅沢であるべし!」だと考えるのです。

by yumehaitatu | 2007-04-08 00:57 | やぶにらみ | Comments(0)

<< 吼える 渋谷隆 §4月研究会報告 >>