堀田 義夫の「やぶにらみ論法」(31)   

~「老い」という資格を捨てよう~

 駅前からバスに乗る。私と同じくらいの年配の男が息せき切って駆け込んできた。あいにく、満席で座れる状態ではない。優先席に中学生くらいの女の子とその母親らしい人が座っている。男はその前に進み「立て!ここは優先席だ!」と大きな声で怒鳴った。母娘はその剣幕におびえた。バスの中は一瞬シーンとなった。そばに居合わせた若い男が、「おじさん、座りたかったら次のバスにしろよ!年寄りだからといって甘えんなよ!」と強い口調で言った。車内の視線は一斉にその年寄りに注がれ、いたたまれなくなった年寄りはすごすご、バスを降りていった。

 「老人」であることは資格でも肩書きでもない。まして 特権でもないことを、この年寄りは理解できていなかったのである。

 最近、ある公募展の審査に参加した。担当役員が新機軸を打ち出そうといろいろ苦心していることを感じた。ところが、ある年老いた審査員がそうしたことを快く思わないらしく、いちいち執行部の意向に注文をつけていた。

 人間には二つに時期がある。「育てられる時期」と「育てる時期」だ。私たちは食物と知識を与えられて一人前に育つ。年をとるに従って、しだいに若い人にその場を譲る気持ちを持つのが自然であろう。


 老人になっても、あらゆることについて、自分が前面に出たがるのは前向きでいい生き方かも知れない。しかし大人気ない。「大人気」とは自分を引くことであり、わたしは「大人気」という美学を大切にしている。そこで「この指とーまれ」に止まった人たちと人生を楽しんでいる。

 知り合いに米寿を期にアナログと決別してデジタルフォトに挑戦した人がいる。あと何年生きられるか分からないのに、よくも大金を投じたと思う人もいるだろう。だが、わたしはそうは思わない。

 新しい道具を与えられると、どう使っていいか分からない。何度、人から説明されても、説明書を読んでもわからない、そんな器具を使わされるくらいなら、少々不便は我慢しても、今のままがいい、と拒絶する。はじめから使わないと拒絶することは老化であり、悲しい。

 年をとったから、そんなことは当たり前というのではなく、世の中に「当たり前」なんてことはないと思うことこそ大切だ。

 「老い」と言うことを口実にするのではなく、新しいことに挑戦し、積極的に覚えようという意欲こそ大切なのである。だからこの知り合いの年寄りの勇気、「老い」という資格を捨てる態度には、大きな拍手を送りたい。

 この連載で「老い」について三回目、これは読者への呼びかけもあるが、自分自身に対する「老い」に対しての戒めでもある。

by yumehaitatu | 2006-11-05 00:03 | やぶにらみ | Comments(1)

Commented by Pyonta at 2006-11-07 08:28 x
Pyontaこと加藤です。いい話をありがとうございます。私はパソコンのボランティア指導をしていますが、受講者の中には、80歳近い人もおられ、新しくパソコンを購入してお見えになります。新しいことへ挑戦される気持ちには尊敬の念を持っており、大切に大事に教え(おこがましくてごめんなさい)させていただいております。

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