写真雑学63 遺影 渡辺澄晴   

写真雑学63 遺影

文化勲章を受章し昭和の日本画家を代表した堅山南風画伯の日常生活を写してほしいと、南風家から友人を通して依頼があったのは、今から36年ほど前の1980年の春。制作は東京世田谷の自宅ではなく、静岡県田方群は伊豆半島の富士山の見える山の上の別荘で、さすがに閑静な場所だった。当然ここへは定期バスはなく、マイカーでしか行けない。撮影時間を考えると、とても日帰りは無理。相談の結果、別荘に泊めてもらい画伯の一日を観察しながら撮影することにした。休日や休暇を利用して数日画伯と行動を共にしたこともあった。「こんど渡辺君はいつ来るの。」写真嫌いと聞いていたが、画伯に気に入られていたようだった。久し振りにまとまった写真が撮れると、こちらも張り切った。

その年の1230日肺炎のため田方の別荘で画伯が死去したことを新聞で知った。急ぎ上野毛の自宅に伺った。関係者から「渡辺さん、遺影になる写真撮っていませんか?」青山の斎場に飾る遺影だという。そのつもりで撮ったのは一枚もない。が、あの大催場に飾る写真なら、いつか秋山庄太郎さんの写した堅山画伯の威厳のある肖像写真を見たことがある。あの写真を飾らして貰おう。ご無沙汰のお詫びがてらに麻布の秋山事務所に電話した。「サイズを調べて伸ばしておくよ」と先生は気持ちよく引き受けてくれた。葬儀の当日、檀上には巨匠秋山庄太郎撮影の威厳に満ちた堅山南風画伯の遺影が飾られてあった。

 

妻の遺影 「渡辺キミさんは、ステージ4(末期)の肺癌です。お年ですから手術も放射線治療もできません。最後に打つ手は抗癌剤治療ですが・・」昨年の3月呼吸困難をおこし救急車で病院に運ばれ、検査の結果担当医師から告げられた言葉である。抗癌剤といえば、頭の毛が抜けるというのがすぐ目に浮かんだ。ステージ4の癌ならどんなに頑張っても余命は長くはない。毛が抜けないうちに写真を撮っておこう。そう思って妻の了解をとり挑戦をしてみたが、お互い気持ちのタイミングが合わず。満足した写真が撮れないでいた。

日を追って酸素の量が多くなり、持ち歩くボンベでは最高5にしないと歩けない状態になっていた。

 1022日(日)、妻は赤いセーターに赤い帽子をかぶり緑のスカーフを首に巻き外出の準備をしていた。月に1回、気の合った近所の奥さんたちが茶菓子を持ち寄り談笑するお集り会で、それをサロンと言っていた。妻はそのサロンを楽しみにしていた。「赤に緑。いい組み合わせだね!帽子も似合うよ」子供に言うように褒めた。歩いて1分もかからぬ裏の家に行くのに・・。「せっかくだから写真を撮ろう。」白い襖の前に妻を立たせ撮影の準備にはいった。「酸素のクダ外してよ・・」過酷な要求だった。健康な人なら「息を止めろ!」に近かったと思う。「こんなの着けては様にならないわね!」と言って妻は鼻からクダを外した。急ぎシャッターを切った。気持ちのタイミングが見事に合った。手ごたえありのサインを指で妻に送った。妻もホットした顔を見せ、満タンのボンベを転がしサロン会場へ向かった。<製作中の堅山画伯>
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by yumehaitatu | 2016-12-03 17:00 | 写真雑学 | Comments(0)

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