写真雑学61     反骨のボクサー     渡辺澄晴   

写真雑学61     反骨のボクサー     渡辺澄晴

 東京オリンピックを2年後に控えた1962915日、社命によりニコンのニューヨーク現地法人に転勤した。妻と2歳の長男を日本に残しての単身赴任だった。偶然にもこの日は私の33歳の誕生日でもあった。その頃の日本経済は1ドルが360円の時代で、まだ急成長以前。勤務先のオフィスは、マンハッタン5番街111番地。ブルックリンのアパートから地下鉄に乗って30分の所にあった。

 赴任して間もなく、UPI通信社の依頼でシカゴに飛んだ。世界ヘビー級チャンピオンフロイド・パターソン対ソニー・リストンとのタイトルマッチを、リングの上から撮影したいというUPI通信社の依頼によるものであった。野球場の特設リングに250枚撮りカメラを5台取り付け、それらをリングサイドからカメラマンが1人で操作する工事である。今なら何でもないことだが、当時としては画期的な企画だった。試合は1ラウンドでチャンピオンのパターソンがリングに沈んでしまうあっけない結果だった。翌朝新聞紙上にはノックアウトの連続場面がユニークなアングルで載っていた。

嬉しいパニック 1960年、ローマオリンピックで金メタルを獲得したモハメド・アリがプロに転向し1964年、前述のソニー・リストンを破り世界ヘビー級の王者となった。そのモハメド・アリが1976616日プロレスラー、アントニオ猪木とによる格闘技戦で来日した。テレビでは羽田空港に2000人のファンが押し寄せ、大混乱の様子が報じられた。その彼を「ニコンの工場(品川‣大井)に呼ぼう」と、いうことになった。「来るわけがない」「駄目でもともと」「無理は承知」」で、交渉したところ、あっさりOKの返事がきた。まるで狐につままれたようだった。

 試合を2日後に控えた超多忙をさいてモハメッド・アリが乗った車が工場に到着した。休む間もなくニコンF3の組み立てラインを見学したが、その途中従業員の作業着にサインしたり女性社員にボクシングのポーズをしたりのサービス。他の職場の人たちは社内放送の制止も聞かず仕事を放棄して見学通路に待ちはだかる嬉しいパニックのひと時だった。帰りには、ささやかな土産だが、ニコンF3を寄贈した。そのモハメッド・アリが去る6月3日に亡くなった。

 人種差別を受けた悔しさから獲得した金メタルを川に投げ捨てたり、ベトナム戦争に反対し、兵役拒否で禁固5年と1万ドルの罰金を科せられ、その後も信念を曲げずに戦い続け、1971年に最高裁判所で無罪を勝ち取った反骨のボクサーモハメッド・アリさん。謹んでご冥福をお祈りします。
f0018492_17561042.jpg

by yumehaitatu | 2016-08-06 17:45 | 写真雑学 | Comments(0)

<< 16年9月例会作品 16年8月例会作品 >>