やぶにらみ論法(90) 「気づきを体感」 堀田義夫   

やぶにらみ論法 「気づきを体感」

  最近、ある市民展の審査を依頼され、表彰式にも出席した。そしていろいろのことに気付かされた。

 審査が始まる前に主宰側から、「市民展なので、専門的な技能を駆使した作品が有利だという印象を与えない配慮がほしい」という要望を聞かされた。

 そうした要望の意味がよくわからないので、「どういうことか」質問したら、「過度にレタッチした作品」は受賞の対象から外してほしいというのだ。一般的な公募展と違って市民中心の文化活動なので、高度な芸術性より、市民が親しめるものであって欲しいという思いからなのだろう、理解できなくもないが、一般的には気付かないことだった。

 公開審査なので、関係者以外にも多くのギャラリーがいた。これも気がつかなかったことだが、相方の審査員と共に、つぶやきながら 審査が終わって入賞作品が決定した。

 表彰式後の懇親会で、役員の一人が「先生がきれいだなー」といっていたので、もう少し上位の賞に入るのかと思っていたが、チョットがっかりしました」と愚痴られた。

 また、「審査中に先生が、何度もわたしの作品の前に足を止めるので、もしかしたら…と期待していましたが、入賞できて嬉い」といっていた人もいた。

 中には、絶対だと思っていたのに、最終段階で、「先生が、よく撮れているが、そのまんまだなー」といわれて上位入賞にならなかったのは、残念!と嘆いていた人もいた。気付かないとはいえ、不用意な発言だったと反省する。

 私が「きれいだなー」といったのは、撮影という技術的なことが要求されたフィルム時代の価値観で、ピントがよい、露出が合っている、色がきれいだ。といったことはデジタル化したカメラや周辺機器の進化で、いまではきれいな写真はフォーマット化され、誰でも写るようになっている。だから、いままでと違って、 技術比べの評価価値は低下せざるを得ないとわたしは考えていたから言ったのである。。

 また、「いい作品だが、チョット弱いネー」 と思ったことを口にしたら、立ち会いの役員の人から「弱いネー」というのはどういう意味ですか?という質問も受けた。

 作品を審査するということは、他の作品と比較して決めるので、沢山の作品の中から、審査員の心をつかむのは最初の印象が大きい。経験的な観点からいえば、二秒か三秒といった瞬時のうちに、いいか悪いかを判断しているのである。そうした印象が脳裏に刷り込まれてしまう。そのためには、他の作品との違いを印象づけることが重要だ。だから私は、周辺の写真仲間に「写真三秒説」という持論をしゃべり、「ナンバーワンを競い合うのではなく、他の作品とは違うオンリーワンの作品」を作ることに努力すべきだと言い続けてきた。

 「写真になりそうな場面に出会ってシャッターを切っただけ」といった写真は、その場の状況は判るが、作者の感動が読めない。そうしたものは、写真ではあっても作品とはいわない。

 知り合いの写真家に、「作品から作者のメッセージが聞こえるか! 感動が伝わってくるか? それがなければゴミだ!」 といった男がいる。私も作品の評価をそこに置いていることを実行したり話をしたりしていた。後になって考えれば、選者の立場と出品者の感想などから、気づくことの難しさを体感した。
f0018492_22240539.jpg

by yumehaitatu | 2015-07-04 18:00 | やぶにらみ | Comments(0)

<< 15年08月例会作品 15年07月例会作品 >>