堀田義夫の「やぶにらみ論法」(89) 師を想う   

堀田義夫の「やぶにらみ論法」(89) 師を想う 201548

 写真に興味を持ったのが1948年(昭和23年)、町のDP屋(写真の現像・焼き付けをするお店)に出入りする人たちが集まった同好会に入会した。本格的に写真をやろうと思ったのは1953年(昭和28)瓢蟲社の発足からです。

 1957年(昭和32)東京写真研究会に入会して、赤穂英一先生を知った。振り返ると、いま私の作画の根本的な姿勢は、この先生との出逢いで目覚めたといえます。ありがたい存在でした。

 東京写真研究会というのは、明治40年に創設された日本で現存する最古の写真団体です。この団体は明治37年、前身のゆふづつ社からピグメント印画による作風を指向するアマチュア育成を目的に作画研究団体として創立されました。はじめから趣味の写真というか、写真を楽しむという風潮がありました。

 赤穂先生は、1981(昭和56)に吉川富三先生の後を継いで、東京写真研究会の会長に就任されました。日本のピクトリアリズム巨匠・高山正隆の従兄弟、歌舞伎の市川猿翁の義弟です。

 その先生から、アマチュアリズムの精神論をいつも聞かされて、学んできました。そうした中で、いまでも心に残る教えがあります。

【赤穂語録】

* リアリズム写真は、報道写真家でもなければアマチュアには難しい。素材さえよければ、それが 写真になるなんて考えでやっている写真は、リアリズムとはちがう。

* 写真は、向こうにあるものを撮るより、自分の気持ちの中にあるものを向こうの力を借りて表現する。

* 写真を“写す”というよりも写真を“作る”という感じで、自分の持っている内面的なものを表現する工夫を考える。

 写真評論家の岡井耀毅氏の「日本列島写真人評伝」によれば、1947(昭和22)焼け野原だった銀座の赤穂邸に集まってきた当時の銀竜社同人25名は次のメンバーである。

 秋山庄太郎・林忠彦・桑原甲子雄・田村栄・秋山青磁・赤穂英一・三瀬幸一・笹本恒子・菊池俊吉・樋口進亮・樋口忠男・緑川洋一・田辺良雄・安藤勝・伊東祥博・織田浩・植田正治・藤川敏行・石井幸之助・佐伯啓三郎・滝沢修・後藤鍾吉・石津良介・清水武甲・中村立行。

 田中雅夫・亀倉雄策らもやってきた。3年後の昭和28年、林忠彦・秋山庄太郎らを中核とする、二科会写真部の創立、樋口進亮を中心に「日本カメラ」が創刊された。と記述しています。

 

 赤穂先生は、あくまでも写真を美学の境地まで高めていく遊び心の写真化こそが、最もアマチュアリズムの本質と考えていたと思うのです。その教えはいまでも私の心の中に生き続けています。
  【赤穂先生 撮影1968年掘田義夫】
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by yumehaitatu | 2015-05-02 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

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