写真雑学52 【写 友】 渡辺澄晴   

写友からの年賀状
「小生82歳になりました。最近は書くのも大変なので来年から失礼します」「母が亡くなってから父はめっきり気が弱くなり、カメラを持って出かけることも・・」(娘代筆)「数年前より腰痛で出て歩くのは病院だけで・・」「30日に退院しましたが人口臓器をつけ・・」「年には勝てず、あちこち不調で娘に助けられて過ごしています。・・」写友からの年賀状も新春の挨拶の後にこんな添え書きが目立ってきた。
そしてデジタルを敵視していた写友から、「いまだフィルムで頑張っている・・」いう痩せ我慢から「・・デジタルに鞍替えしまたが・・原稿料が安くなり収入が減って・・」などの悲痛な賀状もあった。
写す友達
写真を撮る仲間のことを写友と言っているが、この「しゃゆう」と云う単語を変換すると「社友」「社有」と出てくるだけで、辞書にも「写友」はない。つまり「写友」は写真界だけの通用語である。
サラリーマン時代は日本各地を回っていたので、写友が各地にできた。その写友の一人、沖縄在住のSさんから、「まだ雪を踏んだことが無いので雪国へ行ってみたい。案内してくれないか」と、頼まれていた。20年前の話しだが、たまたま冬の札幌に行く機会ができたのでSさんに連絡、羽田空港で落ち合い札幌に向かった。そしてこの日は写友というより尊敬する札幌の先輩Aさんの案内で、歓楽街札幌・すすき野の夜を楽しんだ。
翌朝、小樽の写友Mさんが仕事を休んで、車でホテルに迎えにきてくれた。3人で札幌市内を観光して、小樽を回り千歳空港でMさんと別れ、Sさんと2人で釧路に飛んだ。時は1995年1月16日。阪神・淡路大震災の前日だった。
1995年1月17日
翌朝、関西方面で大地震があったことをホテルのテレビ知った。迎えにきた釧路の写友Kさんからも地震のことを聞かされたが、そのまま丹頂鶴のいる鶴居村に向かった。Kさんが車から500mm望遠レンズと三脚を出し沖縄のSさんのカメラにセットし、撮影の勘所をSさんに伝授していた。初めて雪を踏み、初めて見る野生の鶴。その鳴き声と飛び交う鶴の群にSさんは興奮していた。
夕方ホテルに戻り、3人で食事をした。テレビからは震災の模様が放映されていた。燃え上がる家屋や崩壊したビル。横倒しになった高速道路。刻々と増える死傷者の数。6434人の命を奪った阪神・淡路の大震災。その1995年1月17日の夜は、沖縄の写友と釧路の写友と3人で、後ろめたい複雑な気持ちで食事をしたことを覚えている。
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by yumehaitatu | 2015-02-07 17:47 | 写真雑学 | Comments(0)

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