やぶにらみ 想像を刺激する(87) 堀田義夫   

想像を刺激する(87)                        堀田義夫
 先日、「泣かした子 あやす天狗や 秋祭」 という高張一司さんの俳句が、新聞の文芸欄に掲載されていた。私は俳句についての造詣があるわけではないが、すごく気に入った。
 選者の評で、秋祭りの小さな出来事を見逃さずに活写し、「天狗役」を務めた人物の困った様子が、一方、「あやされて」 ますます泣き叫ぶ子供の姿が彷彿されます。とあった。その通りで、私には秋祭りの光景がまぶたの裏に浮びます。
 当研究会でもフォト575を楽しんでいる人は多い。昔から写真と俳句は相性がいいということで、写真と俳句をコラボした作品発表や写真集の出版といったことは、行われていました。
 小説家の森村誠一さんは、俳句を作ってそれをブログに載せていたが、ただ文字を並べただけの俳句ではアクセス数が少ない。文字を並べるだけの俳句は、ネットの世界では視覚的に貧相だ。そこで俳句に写真をつけることを思いついて実行したら俄然アクセス数が増えた。以来俳句と写真をコラボした作品作りが私の表現スタイルになった。といっています。
 趣味を持つということは経験的に人生の終末を豊かにすると思います。ところが写真も俳句も、たった一人でもやることができる。自分の都合に合わせて楽しむことができるのが嬉しい。もし、趣味が将棋や碁やゴルフとか麻雀だったら一人ではできません。
 森村誠一さんにいわせると、俳句は膨大な世界を17文字に凝縮する営みだが、たとえば、芭蕉の有名な「夏草や強者どもの夢の跡」という俳句の背景には、数百年もの歴史が、この一句に凝縮されている。小説で書くとすれば、何千枚にもなると思うが、これを17文字で表現するのが俳句だと……
 続けて、若い人の俳句にはひらめきがあって斬新だが、意外に浅い。シニアの作る俳句には深みがある。
 どこが違うかといえば、若い人は人生経験が少ないので源資が少なく、シニアは人生経験が長いので源資が沢山ある。その源資をギュッと凝縮して作るので、俳句に深みが出る。俳句は老人向きの趣味としてうってつけだと勧めている。その点でも高齢者に多い写真趣味は、俳句の世界とよく似ている。
 だけど、写真も俳句もみんなが知っていることを、ただ、知っているとおりに写したり、文字あわせが巧くても、「ハイ! お上手です!」で終わり。
 俳句を作っている人や、よい写真を撮る人は、ものの見方が深くなければ、よい作品は生まれないと思う。 例えば、夕日が地平線に落ちていく。そんな自然現象を捉えるだけならいまの機材を使えば誰でも撮れる。
 もし自分が、その日に深い屈辱を味わったとすれば、「あの夕日の色は、自分の屈辱の傷から流れ出た血によって染められた色だ」と発想したり、海に沈む夕日が火の塊としてジュッ!と音を立てて海に沈むようだと感じたら、その自分の想いを込めてみたらどうだろう。
 「見たもの」を「見えたよう」に伝えること、想像力を刺激する作品こそが私は“いい作品”だと思っている。そう考えると、写真と俳句はよく似ていて、また、そのコラボレーションは面白い。
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by yumehaitatu | 2015-01-10 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

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