やぶにらみ論法(86)   

   芽を摘ままれる
今年の「夢の配達人展」も終わった。そして多くの反響に接したがその中に、「チョットいじりすぎの写真もあった。何を目的として画像処理するのか見えてこないと、独りよがりになってしまうかも…」。
 もっともな指摘です。確かにフィルムからデジタルにメデイアが変わったことで、表現領域が大いに拡大され、表現者には福音をもたらした。その大きな要因はレタッチソフトの開発と進歩が大きな役割を果たしています。フィルムで写真を楽しんだ世界とは全く違った世界を目覚めさせてくれたのです。
 そうした流れを感じて本会を立ち上げたが、そのときの趣旨は「デジタルフォトの普及・啓蒙と、新技術の習得・研究」を謳い、共に育とうと「共育」を掲げました。
 ところがいちばんのネックは、デジタルフォトは、多かれ少なかれコンピューターに関する知識が要求されます。一般写真愛好家にとっては大きなハードルです。そこで活動の一環として「基礎講座」「応用講座」を創設し運用してきました。そうした中で会員の学習の結果が、「何を目的として画像処理するのか見えてこない作品…」という指摘につながったと思います。しかし私はそれでもいいと思っています。
 2012年8月号の「美術手帖」に、「いまインスタグラムが楽しい。インスタグラムはスマートフォンで撮影して、写真を共有できる無料アプリ」、と紹介されていた。写真版ツイッターといったところらしい。
 アップロードした写真に、見た人から、「いいね」とコメントがついたり、写真を使ったコミニュケーションを多くの人と楽しむことが魅力だというのです。そのように写真に対して世の中の受け入れ方に変化を来しているのです。これからも写真をメディアの表現領域は大きく変革されていくでしょう。
 いま現在は、情報メディア社会の変化に伴って誕生したデジタル技術で、アナログ写真をなぞるだけでは意味がありません。そこにレタッチというデジタルフォトならではの特質を取り込みたいのです。
 ところがデジタルフォトに関していえば、画像処理の有無と痕跡が主に取り上げられる。それはデジタルフォトをアナログ写真のネガとして論じる思考に由来するからだ。デジタルフォトを従来のアナログ写真の範疇で考えるからです。ここに前時代的な考えが内在しているのです。
 私はデジタル技術でアナログ写真をなぞるだけではない写真こそ、デジタル写真の名に値すると思っているし、社会のデジタル化は従来の写真の枠組みをも変化させるものであって、その枠組みを動かさずにデジカメやフォトショップを使ったからと言ってデジタルな表現とはいえないと思う。つまり画像加工の有無が、デジタルとアナログを分けるのではないのです。
 ただ、デジタル画像が生み出す新しい価値観を求めて、いろいろ試行錯誤したり、トライ&トライの段階で作者の迷いもあってよい。その結果が「いじりすぎ」の非難を浴びることもある。それはそれで仕方のないことだが、その非難に負けて、新しい表現領域獲得に挑戦しようとする精神にブレーキをかける必要はないのです。
 新しいことを始めれば必ず非難の対象になる。特に古くからアナログの世界に生きてきた人には、抵抗感が強い。「人は自分が理解できない事柄は、何でも否定したがる」あるいは、先輩や仲間から新しい芽を摘み取られないことだ。川柳に「前例がないと新芽を摘み取られ」というのがあるが、実に名句だ。
f0018492_10123675.jpg

by yumehaitatu | 2014-11-01 17:00 | やぶにらみ | Comments(0)

<< 14年11月例会作品 14年10月例会作品 >>