やぶにらみ論法【フォト五七五】(84)   

やぶにらみ論法【フォト五七五】(84)    2014年4月

 「五七五」という短詩形は世界に誇れる日本文化だろう。先日、参加16団体、参加者260名という大規模な写真展を見た。あらゆるジャンルの作品が陳列され「写真表現の見本市」のような印象だ。これを五七五の知恵で感想を述べる。
 もともとアマチュア写真家は職業写真家が生業として写真を撮っているのとは違い、写真というメディアを利用して人生を楽しむための趣味人である。川柳に「生きざまはみんな違って趣味の友」というのがあるが、出品者はそれぞれ過去は違った境遇で生きてきた。そしていま写真という趣味を楽しんでいる。豊かな人生経験がいろいろの作品を生み、見本市のような印象を与えるのだろう。
 アマチュアが写真を楽しむとき三つのパターンがある。一つは記録者、報告者としての観点から作画する人たち、二つ目は技術面に重きを置いて精進している人たち、三つ目は写真というメディアを使って創造的作品を作る人たちである。
 出品者の分類では、デジタル写真はいじくりすぎて嫌いという否定派、逆にデジタルだと、こんなことまでできるんだと興味を持った肯定派。そして、花が好き、富士山が好きと被写体の魅力の虜になっている人、あるいは、祭りやイベントといった写す目的のはっきりした行事ものといったように、展示作品は多様多彩。だから出品者側の価値観も多様だ。
 この展覧会のもたらす効果は、ひと頃オリエンテーリングという競技が流行った。地図と磁石を持たされて目的地までいかに早く着けるかを競うものだ。競技のコツは、いつも自分の位置を知ることで、自分がどこにいるのかわからなければ磁石も地図も役に立たないからだ。
 その競技と同じで、この展覧会のメリットは、自分たちのクラブが写真界の流れの中でどの辺の位置にいるのかを知る。そして自分たちの活動の軌跡の間違いを検証し、必要なら軌道修正する。間違っていなければ自信をもって、更に速度を増して前進する勇気を与える役割を果すことができることだ。
 だが、先ほども紹介したように、「生きざまはみんな違って趣味の友」というようにいろいろの人の集まりだから、運営は並大抵ではない。その陰には「輪の中の笑顔に幹事やめられず」といったように、面倒な幹事役を引き受けてくれた人たちの献身的な犠牲の上で成り立っているのである。
 訪れた鑑賞者の一人が、「これ写真?」という疑問を投げかけてきた。うちのクラブでは先生がこんなのは絶対認めてくれない。という嘆き節も耳にした。一般の人が写真は難しいものと思っている部分は、実は技術的な部分なのだ。技術的なことを駆使して写真を撮っている人は、天賦の才能に恵まれた人かと思われている。だからそうした先生は、写真の内容よりも、ピントがいい、トーンが素晴らしい、うまいフレーミングだ。といったように技術の善し悪しを云々するが、新しい傾向の作品を「前例がないと新芽は摘み取られ」といった具合に、新しい感性の芽を摘みとってしまう。
 また、「わたしの作品ですがどうでしょう」と声をかけられた。わたしには言いようのないつまらない写真だ。一瞬困ったが「欠点と言わず個性とフォローする」という五七五が頭をよぎり、その場をしのいだ。
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by yumehaitatu | 2014-05-03 20:46 | やぶにらみ | Comments(0)

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