写真雑学47 札幌オリンピックの思い出 渡辺澄晴   

日の丸飛行隊
数々の感動と勇気をくれた、ロシアのソチで開催された冬季オリンピックも無事に終わった。冬季オリンピックといえば、1972年の札幌オリンピックを思い出す。札幌駅から車で20分の所に宮の森ジャンプ競技場がある。ここで70メートル級(ノーマルヒル)のジャンプ競技が行われた。1972年2月6日札幌オリンピック4日目。日本の有望種目である70メートル級ジャンプを見ようと朝から大勢の人が集まった。日本から笠谷、金野、青地、藤沢の4選手が出場して、1位から4位まで日本勢が占め、日の丸飛行隊金・銀・銅のメダル独占となった。私は彼らの勇飛行をジャンプ台の真下でみていたが、実はジャンプ競技を見に行ったのではなく、撮影中にフイルム面に発生する静電気の対策に、カメラメーカーの一員として札幌にいたのである。
カメラのメンテナンスと静電気対策
乾燥している冬には誰もが経験したことがある、あのビリっとくる静電気。高感度フイルムでは、静電気が火花となってフイルムにも発生していた。対策はフイルムを冷やさないことと乾燥させないことがわかっていた。取あえずカメラを覆うキルティングケースを作り、背面にカイロを入れ、フイルムを暖める防寒ケースの策だった。それを国内外の報道カメラマンに配布した。開会式の前夜札幌市内のホテルで彼らを招待、その使用法を説明した。問題はカイロ。今のように使い捨ての貼りカイロではなく、当時はベンジンオイルを使用する充填式だった。今思えば滑稽な話しだが、スピグラから35ミリカメラに変えた日本で始めての大きな冬の祭典だからフイルムに火花の模様が残る深刻な事故を未然に防ぐことに賢明だったのである。この時代、ISO400の高感度フイルムは、コダック社のトライX。カメラはニコンという状況だったから、コダック社と静電気情報を共有しながら対策を講じるようになっていた。フイルム時代の苦くも懐かしい思い出である。
親友の殉職の報
開会式は札幌郊外の真駒内野外競技場で行われた。天皇陛下(昭和天皇)の開会宣言のあと、歌や踊りの開会式のイベントが盛大に行われた。行事も終わりに近づいた頃、顔見知りのカメラマンから、ベトナムで取材中の、友人の突然の訃報に驚愕した。1967年2月、UPI通信社のクレーム処理のためベトナムのサイゴン(現ホーチミン)に渡った折、いろいろ世話になったPANA通信社のカメラマン嶋本啓三郎氏だった。このベトナム以来、すっかり嶋本氏とは意気投合し、東京でも何度か会った。「俺もかみさんをもらったし、危ない戦場取材はこれで最後にするよ!」と言い残して行ったのが最後になった。彼はタイムライフ・AP・UPIのカメラマンと共に米軍ヘリコプターに乗り、戦場取材に向う途中で、カンボジア国境地帯で撃墜されたのだった。嶋本氏らの乗ったヘリコプターが撃墜された4日後に、札幌では日の丸飛行隊が、金・銀・銅のメタルを独占。その快挙に日本中が沸いていた。
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by yumehaitatu | 2014-04-05 20:56 | 写真雑学 | Comments(0)

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