やぶにらみ論法82 堀田義夫   

【人と作品 】
 電車に乗ったら,いま話題の佐村河内守氏のことを,大きな活字で刷り込んだ週刊誌の中吊りが目についた。
 稀代のペテン師,詐欺師といったレッテル,また,ゴーストライターの登場,制作したCD18万枚を回収,店頭からも商品を撤去したとあった。
 ところが,今朝(2月8日)の新聞に,文芸評論家・小林秀雄氏が良寛の掛け軸を手に入れて得意げに披露したが,良寛研究で知られる歌人の吉野秀雄氏に偽物と看破されて,「また,引っかかったか」と手近にあった日本刀でバラバラにしてしまったという記事を目にした。
 佐村河内守氏の場合は,ゴーストライターによる作曲。また,小林秀雄氏の場合は良寛さんの作品ではなく,第三者による贋作だった。いずれにしても,作品と作者が別々だということでは似たようなものだ。
 人にはそれぞれ見方,考え方がある。私個人としては,作品は自律することが好ましいと思っている。 
ソチ冬季オリンピックの男子フィギュアに出場する高橋大輔選手は,ショートプログラムの演技に佐村河内さんの作品といわれる「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使う。マスコミの報道に接しても曲を変えないという。それは高橋選手が,作品をいいと認めているからだ。
 ところが世間の流れは,「じつはゴーストライターの作品だった,NHKが「現代のベートーベン」と囃したてた,そうした結果が一般の人を騙すことに加担した,だから店頭から商品を撤去する」という方向に向いたようである。
 立派なロジックのようだが,私は小林秀雄氏のように「また引っかかったか」と怒ればいい,すでに制作されたCDや店頭に並んだ商品の回収など必要がない。騙された方は作品の価値を見抜けなかったと,潔く諦めればいいのである。経緯は兎も角,作品に惚れている人がいるんだから,と思っている。
 一方,小林秀雄氏の場合のように,良寛さんという人の魅力で,作品の魅力に惹かれているわけではない。作品の真の価値なんて,どうでもいいのだ。だから,「また引っかかったか」と自分の非を素直に認めて,自分に怒りをぶつければいいだけの話だ。
 美術振興を目的にしている「日展」が,有力者に師事しなければ,入選の機会は限られることが明らかになった。作品より結果的に人脈を選んでいたと摘発されたのである。本来の趣旨から考えれば本末転倒である。
 私もある公募展の審査で体験したのだが,入賞を決める段階で,ある作品を異常に支持する審査員がいた。見かねた某審査員が,「作品を審査しているんだと思っていたんだが,君の言い分を聞いていると作品じゃなくて人を審査しているのかね」と皮肉った。勇気あるその審査員の発言に,私は胸のつかえがスーと一気に解消したことを覚えている。
 作品の価値を問うのではなく,その人を好き・嫌い・いい子・悪い子といった基準で決めているのだ。そうではなくて,私は自律した作品を評価する感性を養いたいと思う。
     白樹
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by yumehaitatu | 2014-03-01 18:55 | やぶにらみ | Comments(0)

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