写真雑学46 50という数字 渡辺澄晴   

写真雑学46 50という数字
 出場50回
 年末になると週刊誌や新聞に紅白歌合戦の話題が盛んになる。特に今年はご本家のNHKでは、各番組の合間や特別番組を組んで初出場歌手や話題歌手の紹介、くどいほど宣伝に躍起だった。中でも「北島三郎50回出場これが最後の紅白歌合戦、大トリで締めくくり」という話題を大きく取り上げていた。紅白初出場は第14回(1963年)、デビューから1年後の27歳の時から50年、昨年の大晦日2013年が50回の出場になった。
 近年、演歌が少なくなった紅白には興味がなく、当日は民放のチャンネルでボクシングを観ていた。ボクシングが終わったので、NHKのチャンネルに切り替えた。すでに歌合戦も最終に近づき大トリの出番。出演者が勢ぞろいしたステージで大きな竜に乗って主役登場。代表曲「まつり」を熱唱。歌い終わると紙吹雪が舞う中、出場歌手らと握手を交わし「北島はこれで紅白を卒業させていただきます」と宣言した。まさに歌手本懐の光景だった。「歌手生活50年」「芸能生活50年」という区切りのいい半世紀の話題は、これからも長寿国日本では続々楽しい話題となって出てくると思う。

 ニューヨークに赴任した50年前
 南アフリカ共和国では、全人口の16数パーセントの白人が64パーセントの非白人を人種に基づいて差別していた。いわゆるアパルトヘイトの政策。その政策に反対していた黒人の指導者、ネルソン・マンデラさんが投獄されたのが1962年。ニューヨークに赴任した年である。28年後に釈放されるが、その年は私が1990年「ニューヨーク28年目の出会い」というテーマで取材に行った年だった。後に南アフリカ大統領となり、ノーベル平和賞を受賞。そして昨2013年12月全世界の人々に惜しまれながら他界された。国家反逆罪として終身刑となって50年になる。
 人種差別はアメリカにもあった。50年前の南部ではトイレ・バス・海水浴・劇場にいたるまで差別されていた。比較的人種平等のニューヨークでも差別があった。だが私の愛したワシントン広場と、その周辺のグリニッチ・ビレッジには、それがなかった。
 あれから50年。一般旅行者に嫌われていた黒人の街ハーレムも、今は観光地となり公園は禁煙、道に散らかっていた紙屑も落書きもなくなっていた。街の顔は拍子抜けするほど綺麗になっていた。
    *1963年 マンハッタン・黒人街で ~今や、この子供たちも60歳半ば~
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by yumehaitatu | 2014-02-02 07:55 | 写真雑学 | Comments(0)

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