写真雑学44「コンプレックス」 渡辺澄晴   

専用車
午前 10 時に横浜駅で写友と落ち合い、二科会の写真展を見に六本木に向かった。東急東横線に乗り中目黒まで 行き、同じホームで待っていた東京メトロ日比谷線の車両に乗り換えた。ところが乗った車両は8割方が女性。 よく見るとここは女性専用車だった。指定時間外だから 問題はないが、この女性専用車の「専用車」というフレ ーズにはいやな思い出があった。
日本が戦争に負けた 1945 年 8 月。米軍を主体とした連合軍が日本に進駐してきた。これを進駐軍と呼んでいた。 進駐軍専用ホテル、進駐軍専用劇場、進駐軍専用車など など敗戦後の日本には「進駐軍専用」という張り紙や看板があちこちで見受けられた。今もそうだが、戦後間も なくの朝夕のラッシュ時の電車は特にぎゅう詰めで凄か った。そのぎゅう詰めの車両をよそに、すかすかの車両があった。「進駐軍専用車両」である。その専用車両には、 でんと腰をおろして進駐軍兵士たちが乗っていた。中に は若い日本女性を伴った兵士もいた。ここは白人も黒人 もなく進駐軍という名を持つ兵士の平等な空間だった。
アパルトヘイト
1952 年サンフランシスコ講和条約による日本が主権を回復し進駐軍が撤退した。が、しばらくはアメリカ人に対しては、複雑な感情のコンプレックスを白人にも黒人にも抱いていた。あれから 10 年。1 ドルが 360 円の時代だったが、日本経済はようやく上向きになりはじめ、アメ リカ人に対するコンプレックスも薄れてきた頃の 1962 年の 9 月 15 日。2 年後に東京で開催されるオリンピックの対策を兼ね会社の命でニューヨークに渡った。奇しくも この日は私の 33 歳の誕生日だった。
日本では、あの専用車に白人も黒人も平等に、でんと座っていたアメリカ人も、ここアメリカの一部では、通勤バス、トイレ、映画館などに黒人差別があった。南ア フリカ共和国では有色人種に対する極端な差別政策の アパルトヘイトの最中で、この政策に反対していた同国 の黒人の指導者ネルソン・マンデラさんは既に投獄されていた。50 年前のアメリカにもこれに近い人種差別があ った。
人種のるつぼ
しかし、ニューヨークは違っていた。特に私が魅せら れたワシントン広場とそれを取巻く芸術家の街、グリニ ッチ・ビレッジは特別だった。まだ世に出ぬ画家や彫刻 家、詩人、俳優たちが安い住居を求め、このあたりに住み込み異色な街になっていた。また、ホモセクシャルや レズビアンの、同性愛の発祥地でもあった。週末の広場 には手に手に思い思いの楽器を持った若者たちが三々五々と集まり歌い踊り合唱、合奏していた。肌の色の同 じ男女が抱き合う様は別に珍しい ことではないが、ここでは黒人と 白人のカップルが堂々と肩を寄 せ合っている姿も見られた。 グリニッチ・ビレッジは人種差別など通用しない人種のるつぼの街だった。
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1963年3月撮影 、ワシントン広場(ニューヨーク)

by yumehaitatu | 2013-10-05 21:40 | 写真雑学 | Comments(0)

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