堀田義夫「やぶにらみ論法」(77) 出会いに感謝   

出逢いに感謝
 老いを楽しく生きるために、出逢いの機会を作る努力をしよう。そう思っているので、先月、現職時代のOB会へ出席したが、期待はみごとに裏切られた。
 当時、尊敬していた先輩・同僚が賞味期限切れの、ただの年寄りになっていたのです。賞味期限の切れたモノは捨てるか、買い換えるかしかない。捨てれば自分の周辺から仲間がどんどん減ってしまいます。買い換えるとは新しい出逢いを求めることです。
 過日、本会の幹事長の西垣憲明さんが中心となって「みんなの写真展」という展覧会に参加しました。16団体・約300人の出品者で規模としては、全国に類を見ない規模ではないかと思います。その諾否は別にしても、観客に好評のようでした。出品者の感想は、「他の団体の活動に啓発された」「趣味を通じて新しい人との出逢いを得られた」ということでした。
 「出逢い」というと人との出逢いを思いますが、そのきっかけとして、写真を趣味にしたことが役だったと思うのです。だから趣味は出逢いの道具です。そうして得られた新しい仲間は、新鮮な刺激を与えてくれます。
“生きざまは みんな違って 趣味の友” という川柳を目にしましたが、この川柳のように過去の生きざまは違った人の方が刺激になります。冒頭に書いたように、同じ釜の飯を食ってきた職場の先輩や同僚は賞味期限切れで刺激を与えてはくれません。
 年を取ると「出逢い」の機会は極端に減ります。だから私は積極的に出逢いの機会を得ようと努力してきたが、加齢とともに体力的に厳しくなりました。
 その難問を解決しようと、過去に撮影した写真の整理を始めました。いま流なら「終活」というのでしょう。自分の写真が一度発表するとそれでお終い?では、あまりにも軽い。そんな気がしたからです。
 書物だって、一度読んでら全部分かる本なら、読まなくてもいい。何度でも読み直そう、読み返すたびに、新たな刺激や目覚めを与えてくれような本は、名著なのだ。そんな写真が作りたい!そう思って毎日パソコンの前に座って頑張っています。
 写真はモノを克明に描写して、現象のある一瞬を定着する機能を持っている。その結果、写した写真はデーターとして「現実と等価なもの」と学習してきました。
 しかし一方で写真は自分がいて、被写体があって、それを写真に撮ったものをプリントして改めて見る。言い換えると、自分自身のモノを見る目を考える道具として「写真家の意志や主張」を表現します。写真は視覚的なことだが、作品には作者の心理的、精神的なモノが必ず関わってきます。だから写真は「目の哲学」と思っています。
 そうした意味では、本研究会には“旬”の作家が多く、いまさらのように出逢いのありがたさに感謝しています。
「サイコロ石」
f0018492_18391471.jpg

by yumehaitatu | 2013-05-04 22:39 | やぶにらみ | Comments(0)

<< リンク集 13年5月例会作品 >>