写真雑学40 写真集出版秘話   

 晴れがましい写真展
 2020年のオリンピック東京招致がいよいよ本格的になった。およそ50年前の1964年にも開かれ、その興奮が残っている翌年、私の写真展「ワシントン広場の顔」がオープンした。前日まで立木義浩氏の「舌だし天使」が開かれていて、私の後が荒木経惟氏の写真展だった。まだニコンもキャノンもコダックもギャラリーがなく、この銀座の富士フォトサロンが写真家の憧れのギャラリーだった。ここはプロの登竜門。渡辺澄晴という無名のサラリーマン写真家が新進気鋭の2人の写真家に挟まれてこの晴れの舞台で個展をやる。「一体何者だろう!」と注目された。
 フイルム時代を過ごした人にはお分かりと思うが、来場者には、木村伊兵衛・土門拳・伊奈信男・渡辺勉、伊藤逸平・田中雅夫・浜谷浩、八木原茂樹・重森弘庵・魚住励・大竹省二・・・(敬称略)。3冊の芳名録には写真雑誌しかお目にかかれなかった著名なプロ・アマ・評論家の方々の名があった。
 渡りに船
 写真展初日の午後、40代なかばの小柄な女性が「面白いから行って来い。写真集にしたいから相談してみろと社長に言われ見に来ました。」といって図書出版 株式会社悠々洞・山崎柳子という名刺を差し出した。ここは写真家たちの憧れのギャラリーである。そこで写真展ができることだけでもラッキーなのに、写真集なんて考えてもいなかった。『ぜひお願いします。』二つ返事だった。そして展示してある116点の写真を説明した。
 新橋駅の近くに毎日新聞社の分室の一角に出版社悠々洞があった。ほっそりと背の高い初老の社長と若い青年がわれわれの来るのを待っていた。青年は菊池信義と名乗るデザイナーで、装丁を担当。写真集の名は写真展と同じ「ワシントン広場の顔」Face of Washington Squareにきめ、1965年(昭和40年)12月夢の写真集が発売された。
 菊池信義氏は1977年装丁家として独立後、2008年までに1万数千冊の装丁を手がけ1984年、装丁の業績により第22回藤村記念暦程賞を受賞。1988年、第19回講談社出版文化賞を受賞した装丁界の巨匠になっている。
 山崎柳子さんは、小説家活動に入り、1966年上期、同下期、1968年下期の3度も芥川賞にノミネートされたが念願かなわず得度して1981年僧侶となり、1999年7月24日他界。
 出版社の倒産
 写真集が発刊されて2年ほどして「君の本神田でぞっき本になっているぞ!」と友人から驚きの電話があった。出版社悠々洞が倒産したのである。作家として己の本がぞっき本になっているなんて、そんな情けないことはない。急ぎ神田に駆けつけた。そこには夢の写真集「ワシントン広場の顔」が5冊づつ紐で束ねられ、計25冊が哀れな姿で店の外に置かれていた。定価1800円の本が600円の価格になっていた。店の主人に会い著者であることを名乗り、25冊全部を自宅に郵送してもらった。
 1865年当時の物価は今の1/10位だから1800円は高いと思ったが、幾つかの新聞社も紹介記事を載せてくれたし、NHKのテレビ番組、夜のアルバムでも取り上げてくれ本は順調に売れていると聞いていたのに、なぜ? 山崎さんの話しでは、その後スタッフの反対も聞かず5000円の豪華本を出版したのが命取りになったようだ。この頃はカメラ雑誌の閉鎖、中小出版社の倒産が相次いだ。
 ぞっき本として店先から置かれていたあの時から、おおよそ半世紀。その店の店主はすでに代替わりしていたが、拙書は上段のガラス戸棚の中に置かれ、高価な値段で陳列されていた。ちなみに魚山発行の2010初夏号写真関係文献目録には、函並、帯欠で45,000円と、載っている。
<修理>
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渡辺先生の画像が「JPA」のホームページに掲載されています。クリックすると移動します。ぜひご覧ください。
「ワシントン広場の顔」Face of Washington Squareへ



by yumehaitatu | 2013-02-02 20:33 | 写真雑学 | Comments(0)

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