やぶにらみ2006年4月   

堀田 義夫の「やぶにらみ論法」(24)

~常識という「非常識」~
 巷間、写真展は盛況である。かつて展覧会に出品し入選でもすれば、それは作家にとって ステータスであった。ところが社会の仕組みも 変わり既存の公募展における権威主義や偏った評価を嫌い、同好者を募ってのグループ展が盛んだ。その功罪について論じようとするものではないが、最近体験したことを書き記す。
 私のところにまとめて20~30枚の展覧会の 案内状を同封した郵便物が届く。どういう意味なのか考えると、きっと、「知り合いが多いだろうから貴方が配ってくれ!」という下心があるからだろう。
 これはまだ百数十円の切手代がかかっている。凄いのになると出会ったそのときに数十枚手渡される。なにも特別の縁故もないのに?と思いながらも多少の顔見知りなので無碍に断るわけにもいかないので受け取るが、考えれば 非常識な話だ。主催者側には、経費削減という狙いがあるだろうが、受け取った側はそのために何らかの行動を起こさなければならない、まったく迷惑な話である。
 ある展覧会で、作品一点一点に撮影月日がことさら記入されていた。ところが、どの作品も同日写されて、しかも時間帯は2時間くらいの間に写されたものらしく、同じような写真ばかりが並んでいた。内容が良ければ撮影時間の長短ではないだろうが、似たような写真の羅列にはいささかむっとした。
 また、四つ切りをボール紙に貼り付けた40点ばかりの規模で「○○クラブ合同大撮影会」と 銘打った展覧会を見た。印象としては同好者のおさらい会だ。関係者によると、「いかに、出品者の負担をかけないかを考えた」という。どちらにも真摯に写真を見ていただくという誠意や 感謝の気持ちは感じられない。むしろ、「見せてやる!」という不遜な態度すら感じる。わざわざ足を運んで見てもらう人のことを、どれほど考えたのだろうかと疑問に思った。
 話は飛ぶが、ある展覧会の打ち上げで「ここにいる人たちの中では、私がいちばん写歴が長いのではないか」と自慢していた人がいた。私は「そんなに長い写歴があってその程度?」と聞きたかったがぐっと息をのんだ。
 また、ある人が何処何処の審査を頼まれて……と暗に自慢したげな話しっぷり。これも常識とはほど遠い非常識の世界。主催者は事務的に審査を依頼するが、出品者に懇願されて審査員に選ばれたわけではない。若い頃、展覧会に 出品しようと思ったとき、いちばん気になったのは審査員の顔ぶれで、それによって出品するかどうか決めていた。だから審査を依頼されたからではなく、あの人に審査をしてもらいたいという 信頼を勝ち得たときに威張ってもらいたいと思うのである。
 こうしたグループ内の「常識という非常識」がまかり通ってはいけない。今年も「夢の配達人展」は開かれる。その際「常識という非常識」を犯さないようにお互い心しようではありませんか。

by yumehaitatu | 2006-04-01 21:56 | やぶにらみ | Comments(0)

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