堀田義夫のやぶにらみ論72 教えすぎない!    

教え過ぎない!
 『子どもを不幸にする、いちばん確実な方法をあなたは知っているかい。知らなければ教えてあげよう。それは、いつでもなんでも、手に入るようにしてあげることだよ』といったのは、スイス生まれの思想家・ジャクソン・ルソー(1712~1778年)です。
 冒頭から変な書き出しになってしまったが、自分自身の後ろすがたを見た思いがしたのです。仲間たちと話しているとき、ついつい夢中になって、教え(錯覚だが…)過ぎているようだった。
教え過ぎるということは、決して本人のためにならない。 
 教え過ぎは『感じる力』を奪ってしまう。本人が気づく前に答えを教えられても、本人に聞く耳がなければ何にもならないのです。『過ぎたるは及ばざるがごとし』のことわざの通りなのです。
 ところが、いままでの自分自身を省みると、心に余裕がないから、ついつい自分の知っていることや経験を押しつけてきたのではないか。指導者というより、支配者だったのではないか。と反省する。 そうして指導の理想的な姿はどうあるべきかを考えて得た結論が、『指導者とは気づかせ屋』 に徹することだと。
 最初から自分の知識や経験を押しつけ、答えを用意するやり方は好ましくない。あくまで本人自身に『気づかせる』ように仕向ける。そして、本人に足りないものを身につけるための方策を、探して支援することが大切な役割で、それが使命だと気づいたのです。

貪欲に教われ! 
 難解なソフトをつかって、巧みなレタッチを試みられるように、最初から何でもかんでも教えようとすると、教える方も教わる方も疲れてしまう。また、それでは自ら考えようとする意志を奪ってしまうことにもなる。
 しかし、教わる側にもそれなりの姿勢は要求される。新訳聖書マタイによる福音書のなかで『求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門をたたけ、さらば開かれん』
 すなわち、求めなさい。そうすれば欲しいものは与えられます。探しなさい、そうすれば探しているものは見つかります。門をたたきなさい、そうすれば入りたい門は開かれます。自ら行動を起こさなければ、何も得られません。というように、教えられる側は積極的に行動を起こさなければ何も得られないのです。指導者が教え過ぎ警戒するなら、教わる方は貪欲に教えを引き出そうではないか。
人間は『考える』『体験する』『表現する』ために生きている。年齢、環境、状況が変化する中で、夢を持ち、挑戦し続ける。そして最後まで現役にこだわりつづけたいと私自身は思っている。
                「 悲 恋 」
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by yumehaitatu | 2012-07-08 10:45 | やぶにらみ | Comments(0)

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