やぶにらみ論法69 堀田義夫   

 ある写真クラブに、知り合いのおばあさんを入れてもらった。新人の加入に周りの人が大歓迎して親切にいろいろ面倒を見てくれたそうです。
 ところがおばあさんの足は次第に遠のいていった。ある日、そのおばあさんと顔を合わせたので「最近は教室にも余り行かないそうですね」と尋ねてみた。
 「皆さん大変に親切にして下さいますが、私は理解力も感性もなくて、皆さんにご迷惑ばかりかけるので、申し訳なくて行きにくくなってしまったのよ」という答えだった。
 続けて、「先生はとても親切に教えて下さるのに、それに応えられなくて精神的に参ってしまうのよ」という気持ちも聞かせてくれた。
 この話を聞いて私も多少は初心者の指導をした経験から、大いに考えさせられました。
話の中で「とても親切に…」に、というところに問題がありはしないかと。
 それは教えすぎているからです。本人の能力以上に教えようとすることは、決して本人のためにならないのです。教えすぎは「感じる力」を奪ってしまいます。
 本人が気づく前に答えを教えられても、だいたい聞く耳を持っていないから残らないのです。
すぐれた指導者というものは最初から答えを用意するのではなく、あくまで自分自身に「気づかせる」ように仕向けることです。その結果、本人に足りないものを身につけるための方策を探してやることだと思うのです。
 何でもかんでも教えようとすると、自ら考えようとする意思を奪ってしまいます。まずは本人が思うとおりに
やらせてみることが大切です。たとえまちがったやりかたをしていても、本人が気づく前に教えてしまえば元の木阿弥になってしまうからです。
 撮影会で足利に行ったときのことですが、「何にも写すものがない」「どこを撮ったら良いのか分からない」という声を耳にした。だからといって私は教えようとは思わない。
 私は「ここは作品になるよ!」なんてところはないと思っているからです。だが撮影会は多くの仲間と撮影を愉しみながら、それぞれの作家の感性からいろいろ学ばせてもらえることが嬉しいのです。すなわち「気づき」のヒントを与えてくれるからです。
パブロ・ピカソがモンマルトルの丘を散歩する時間になると、周囲の画廊が一斉に店を閉めてしまうというエピソードが伝わっています。それは、店先に飾ってある若い感性豊かな作家の作品からピカソがヒントを得て作品化してしまうことを恐れたからだというのです。「天才は天才的に剽窃する!」と池田満寿夫さんが喝破していますが、これはピカソに「気づかせない」ための画商の作戦だったのです。
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by yumehaitatu | 2012-01-14 22:06 | やぶにらみ | Comments(0)

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