やぶにらみ論法68 堀田義夫   

 近頃はフラクタル画像を使った作品を目にする。これは,デジタルならではのテクノロジーが生んだ新しい表現領域の拡大です。だが、こうした高度?なテクニックを習得することは高齢者にとっては容易ではない。そして、「私は頭が悪いから…」ついて行けないと落ち込んでしまわないだろうか?
 わたしも若い頃は一緒に勉強している人に比べると、理解力に劣ったり、技術的に不器用だったので、ひどく惨めな思いを経験した。
 あるとき、尊敬している先輩と、先生のお宅へ伺ったことがあった。ときのことです。
 「○○君は写真の技術も高いし、感性もいい。だから僕は、非常に誇りに思うし期待している」と先生は褒めておられた。私としてはたしかに、その先輩と比較されれば、その通りと納得せざるを得ません。しかしその先輩と比較されて、「堀田君はそうした意味では少し落ちる」と言われたみたいに思えたので、落ち込んでしまった。
 その姿を先生の奥様が気づいたらしく、何気なく話題をそらし「堀田君,良寛さんの詩にこんなのがあるんですけど知っている?」といって、教えてくれたのが次の詩です。
 『この地に兄弟あり 兄弟こころおのおのことなれり 一人は辯にして聡く一人は訥にしてかつ愚かなり、われその愚かなるものを見るに生涯あまりあるがごとし またその聡きものを見るに到るところ亡命して趨る』
 意訳すると,ここに兄弟がいます。一人は雄弁で聡明ですが,もう一人は口べたで賢くありません。でも,愚かな方は余裕たっぷりに人生を楽しんでいます。賢い方はどこへ行っても失敗を重ね、逃げ回ってばかりいます。「到るところ亡命して趨る」ような生き方は、大事なところを一つも見ていないで,命をすり減らしているだけだ。いうのです。
 兄弟の生き様を並べて示しただけの詩ですが、良寛さんは人間にはみんないいところがあるが、愚かな方は、ゆったりと余裕たっぷりに人生を歩んでいると言って、軍配を上げているんですよ。といった話をなされたのです。
その後,寺田寅彦さんの「科学者とあたま」という随筆に巡り会ったとき、「良寛さん」の話とつながっているように思いました。その部分を抜粋して紹介すると、頭のいい人が科学者になるというのが世の常識だけど、科学者は,頭が悪いことも必要だと。場合によっては、頭の悪い人の方がすぐれた仕事をする。というのです。
 『頭のいい人は,いわば足の速い旅人のようなもので、人より先に、人のまだいけないところに行き着くこともできる代わりに、途中の道端、あるいは、チョッとした脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある。
頭の悪い人、足ののろい人が、ずっと後から大事な宝物を拾っていく場合がある。といった内容でした。こうして考えると、早く理解して要領よく作画に反映させるより,理解力に遅れがあって気にしないで、のんびり行くことの方がいいのかもしれませんね。
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良寛さんの詩

by yumehaitatu | 2011-11-05 23:59 | やぶにらみ | Comments(0)

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