写真雑学32「モータドライブ」   

ニューヨークに赴任
 いまから49年前の1962年9月15日は、私がニューヨークの現地法人ニコンに赴任した日です。そしてこの日は33歳の誕生日でした。赴任の目的はニコンFモータードライブカメラのクレーム処理と現地の報道カメラマンの使用現況調査でした。
 その頃、日本の新聞社の主力カメラは、アメリカのグラフレックス社で作られていた蛇腹式カメラ、4×5インチの大判フイルムを装填したスピグラ(スピードグラフレックス)を使っていました。ところが欧米では既に機動性、速写に優れた日本製の35ミリ一眼レフカメラが主力でした。つまり当時は、日本の報道カメラマンはアメリカ製のカメラで、アメリカのカメラマンは日本製カメラという奇妙な関係だったのです。
不器用だからモータードライブを使うんだ!
 1962年頃は、「欧米人は不器用だからモーターを使うのだ!、1秒間3駒程度の連写では決定的瞬間は撮れない」などと言っていて・・。国内の新聞社は前述のように、スピグラが主力だったのです。
 しかし、アメリカでは「不器用だから便利な機械に頼るんだ」と答えているように見える驚くような使用率でした。1963年東京オリムピックの前年に開かれたプレオリムピックでは、欧米のカメラマンたちが35ミリのフイルムを、バケツの中に入れ、フイルムを湯水のように使う様子をつぶさに熟視。重くて大きく、操作性の悪いスピグラの時代は終わったと悟ったようでした。
モハメド・アリにニコンF3を寄贈
 ニューヨークに行って間もなく、パターソンとリストンの世界ヘビー級の試合があり、リストンがチャンピオンのパターソンをノックアウト。(このことは雑学22号で述べています)2年後、今度はリストンがモハメド・アリにノックアウトされ敗れます。そのアリが1976年プロレスのアントニオ・猪木と日本武道館で格闘技世界一を争うため来日しました。誰ともなく「アリをニコンに呼んでニコンを寄贈しよう!」ということになったのですが、「3億円のファイトマネーの多忙の彼が来るわけがない!」。結論は、「だめでもともと」と云うことになり、関係者を通じ交渉したところ、あっさり快諾してくれました。実は彼、大のニコンファンだったのです。アリはニコンF3を組み立てている品川区西大井にある大井工場を一時間余りかけて見学しました。工場内は大フィーバーでした。そしてニコンF3 50ミリF1.4 モータドライブ他を寄贈しました。
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座っている右側、モハメド・アリ、左、更田雅彦副社長
〈ニコンカメラ設計者)、二人の間に立っているのが筆者

by yumehaitatu | 2011-10-01 22:19 | 写真雑学 | Comments(0)

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