堀田義夫のやぶにらみ論67 比べない   

比べない    
 伝統ある公募展を見た。その折に会場で面白い統計を目にした。それは応募者の内訳です。細かい数値は覚えていないが、応募者の分布が60代が500人,70代が600人で全体の41%を占めているのです。それに続いて50代・40代・80代といった順位です。
 年寄りには魅力のある公募展が、なぜ若者に嫌われるのか。このことについて、もう10年くらい前になるが、江成常夫・土田ヒロミ氏らと話したことがある。
 そのとき土田氏は、若い人に門戸を開こうとするなら、従来形式では乗ってこない。年寄りは人と比べっこして、どっちが上かを決めたがる。しかし若い写真家は、撮っている流れ、行動する流れ、考える流れの中で見てもらいたいと思っている。 その中の1点を切り取ってみせられても、それは文脈を外した見方で、写真に写っているものだけを見ることになる。従来の1点豪華主義の比べっこ形式に納得しない、と話していた。
 この時、私の脳裏に相田みつをさんの「百点満点のビリ」という詩が思い出された。

【百点満点のビリ】
 「小学校の運動会 一年生の走りっこは五十メートル スタート係の先生の赤い旗が振られるたびに お父さんやお母さんたちの声が山間の校庭に沸き上がる 「わァ! うちの太郎は一着よ!」「うちの花子は二着だ!」一着だ,二着だ,と順位をつけるのは大人たち つまり,自分では走らない傍観者  走っている当事者 子どもたちは 大人のつける順位などは 全く意識にない ただひたすらに走るだけ 命いっぱいに走るだけ 命いっぱいに走ることが尊いのだ 命いっぱいに走ることではみんな百点満点なのだ  一着二着の順位はあるけれど 一着も百点満点 二着も百点満点そして 百点満点のビリなのだ」

 この詩には「走る」と言うことに対する姿勢が問われ、そこに比べっこなどの介入する余地はない。
 私は異端者と周囲から見られていたが,若い頃は「負けてたまるか!」と思って、なにごとにも頑張った気がする。ところがあるときから、一着も二着も,そしてビリも意識しない「誰とも競争しない、比べっこしない」と思うようになりました。誰かが私の作品を見て,なるほどなと感じてくれればいい。上手いとか,きれいな作品を作る人は大勢いる。器用に生きるばかりが人生じゃない。私の作品を見て,「こんな下手な写真より,俺の方が上手い!」と見る人に優越感を持たせるような写真家が一人くらい居てもいい。最近はその思うようになりました。
 「競争する」ということは比較することです。「誰かと比べて上手・下手」を論じるより,比べることのできない作品を生み出すことの方が私には大きな意義があるのです。だから誰とも比べっこをしないで,これからも自分らしい生き方を貫きたいと思っています。
【青い池】
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by yumehaitatu | 2011-09-04 13:40 | やぶにらみ | Comments(0)

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