堀田義夫の「やぶにらみ論法」64   

五体の散歩
 年をとってもボケずに、元気でいられることを誰でも願います。そのために,何か体にいいことをしようと考えます。お金もかからず、気軽にできるという意味では散歩に勝るものは少ないでしょう。病は脚から、だから足腰を鍛えるために散歩という理屈です。
 ところが,最近そうではないことに気づきました。昨年の酷暑に「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」という村上鬼城の俳句を地でいった体験から、これ以上、老醜をさらし、写友の善意や犠牲に甘えていてはいけないと自分自身に言い聞かせ,写真教室の講師は辞退しました。
そうしてわかったことがあります。それは、「年を重ねてもボケずに……」という願いからすると、散歩は脚だけではだめ!ということです。背筋を伸ばして、老境を生きるためには、手・口・頭・といった、五体の散歩こそが大切だということを実感したのです。 
一般的に男より女の方が健康体を維持できるのはなぜか、ということに関心を持った医学者がいたそうです。一つの推測として、料理など家事をすることの多い女性は、そのぶん手を動かし、頭を使うから、男より健康体を維持する能力に優れているというのです。説得力のある考察だと思います。
問題は口の散歩だ。体力が衰えると、それを補うのが精神力、つまり元気です。いままでは写真クラブの会合などに顔を出して、好きな仲間たちと好きな写真について語り合う機会がありました。しかし,今年からはそうした機会を大幅に割愛したので、口の散歩が著しく不足する。
人に会い、人と話すことは、気分を高揚させる。いい気分になれば、それが体中に元気の「気」を行き渡らせてくれます。いままでは,そうした仲間たちが気力を支えてくれていました。ありがたいことでした。
 頭の散歩とは、先に結論を言ってしまえば、「知識」を積み重ねることではありません。知識の習得ではなく、自分の頭で「考える」ことです。考える習慣が大切なのです。
私自身の体験からすると,普段は70点くらいの作品しか撮らない人が、いざ展覧会に出品するとなると、非常におもしろい作品を作ることがあります。70点の作品しか作れない人は足りない分、自分の頭で考えようとします。そうした作品には発想がユニークであったり、考え方にも独創性があります。これに対して、仲間から写真がうまいと思われている人の作品は,自分の知識で勝負します。だから独自の思考力が求められる展覧会の作品としては常識的、理知的作品に終わってしまって面白くないように思います。そうした意味では多くの人との出会いを持つことが必要だと思そんなことに気づいて,います。
一昔前は、老人は尊敬の対象にされていました。しかし、いまの時代は「老人は哀れなもの」と見られがちです。それは、尊敬に値する生き方を若者に見せていないからかもしれません。体も頭も使わないとどんどん錆びてしまいます。最近は「五体の散歩」が極端に減ってしまって,不安な日々を送っています。
      <北辺の浜>
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by yumehaitatu | 2011-03-06 17:18 | やぶにらみ | Comments(1)

Commented by momiji at 2011-03-15 21:39 x
「五体の散歩」・・・本当にそうかもしれないと思いました。人は人と関る事で、成長し生きる喜びを感じるのかもしれません。
仲間の存在を大切に、「五体の散歩」をしながら、写真の勉強をしていきたいと思います。

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