写真雑学27 尊敬している二人の写真家の授賞 渡辺澄晴   

文化功労賞 細江英公
戦後一般の人にカメラが普及しだしたころ、富士フォトコンテストの学生の部で最高賞を授賞した細江英公さんは、1960年に「おとこと女」を発表。この作品で写真批評家協会新人賞を受賞しプロとしてデビューしました。
その細江さんとの初対面は、ニューヨーク市内の病院でした。当時、私はニューヨークのニコンに赴任。そこへ写真家の佐藤明さんがよく遊びにきていました。その佐藤さんが暴漢に襲われたとの連絡を受けたのです。
急ぎニューヨーク市内の病院に見舞いに行きました。佐藤さんは頭部陥没の瀕死の重傷を負って危篤状態。
その病院で佐藤さんに付き添っていたのが音楽評論家の秋山邦晴さんと細江英公さんでした。佐藤さんは二度にわたる頭部の大手術で、幸い一命をとりとめました。
そこに至るまでには、警察・病院・日本領事館・マスコミなど関係部署を駆け回り、待遇面などでいろいろと掛け合った、細江さんの影の力によるものが大きかったと言っても過言ではありません。
1963年に帰国した細江さんは、三島由紀夫をモデルにした「薔薇刑」で日本写真批評家協会賞。1970年に「鎌鼬」で芸術選奨文部大臣賞。1998年紫綬褒章。
2007年旭日小綬賞。外国でもアメリカ・ルーシー賞を日本人の写真家として始めて授賞。英国など外国からの授賞もあり、今年の秋は文化功労賞を受賞しました。
はからずも佐藤明さんの見舞いで、ニューヨークで知り合った細江英公さんとは、それ以来撮影会や講演会など多くの機会に接し、貴重な勉強をさせてもらい公私ともお世話になってきました。

旭日小綬賞 江成常夫
40年も前になるだろうか、そのころ江成常夫さんは毎日新聞の出版写真部に在籍していました。その江成さんと新潟村上市の祭りでばったり会い、撮影をともにしてから懇意になりました。
それから間もなく毎日新聞社を退社した江成さんは、戦後の日本をとり始めました。戦後進駐してきた米兵と結婚し米本土に渡った「花嫁のアメリカ」で1981年木村伊兵衛賞を受賞。1985年には中国残留孤児をまとめた「シャオハイの満州」で土門拳賞。そして「ヒロシマ万象」などで2002年に紫綬褒章。サイパン、ガダルカナル、ニューギニアなど玉砕の島巡りなど、一貫して昭和の戦争の後をテーマに撮り続け、それら数々の功績によりこのたび旭日小綬章を授賞しました。
その叙勲発表から四、五日後、ニッコールクラブのパーティで会ったとき、「まだ表に出ない太平洋戦争の悲惨な沖縄戦にレンズを向けたい」・・と。江成さんはすでに次の目標に向かっていました。
写真芸術を追及、その真髄を究めた細江英公さんに対し、報道カメラマンの江成常夫さんは生涯のワークとして戦後の日本を撮り続けることでしょう。「ローマは一日にしてならず」ぜひ続けてほしい。そして細江英公さんに続いて、次は文化功労賞を期待しています。
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             <1963年 ニューヨーク>

by yumehaitatu | 2010-12-03 22:36 | 写真雑学 | Comments(0)

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