やぶにらみ論法62 展覧会ア・ラ・カルト 堀田義夫   

 恒例の「夢の配達人展」も盛況のうちに終わった。会期中にNHKフォト575審査員の板見浩史氏が「誰にでも楽しめるフォト575入門」という講演のため見えられたので会場で立ち話をした。
 板見氏は私に「夢の配達人というネーミングは、本展が何を鑑賞者に伝えようとしているかが明確であり、出品者がそのことをよく理解して作画を楽しんでいるのが素晴らしい。また、近頃は写真の展覧会は多いのですが、中味の薄い、技術比べのような展覧会が多いと思っていたのですが、東京からこんな近いところでアバンギャルド(革新的芸術運動・前衛芸術)な活動が展開されていることに驚いた。来年も是非見させてほしい。」と感想を述べていました。
ところで、板見氏のいわれるとおり、写真展は本当に多い。私のところなどにも有名無名の方々や、グループからダイレクトメールが送られてくる。そうした展覧会について考えてみると、いくつかのパターンがあることに気づく。
その一つは、カリスマ的レッスンプロといわれる先生が指導するグループ、あるいはカルチャー教室的雰囲気を持った写真クラブの展覧会を見て感じることは、作者の作意というより指導者の好みに合わせた写真が並んでいる。ピント合わせ、露出補正、構図のまとめ方といったような写真技術の習得も写真を趣味にするには必要だから、それも「あり」としよう。しかし、そうした展覧会は技術習得に重点が置かれて、作品の内容が希薄で表現形態が画一的で退屈だ。
 二つ目は、○○写真連盟、○○写真協会、○○公募展、といった部類の展覧会である。こうした展覧会は出品者の射幸心を煽るように入賞順位がつけられる。出品者もそうした機会を利用して自分の力量をある権威?から認められたら……といった気持ちも手伝い、競合者に勝つために選者を意識し、作品づくりのコンセプトを検討して努力する。
そのために楽しいこともあるだろうが、半面クライアントの気を引く後ろめたさも付きまとう。しかし、一番目に挙げた展覧会よりはましだ。
 それらの展覧会と比べた時、「夢の配達人展」は確かに板見氏の指摘の通りアバンギャルドなのである。会場で「こんな写真見たことない」「これが写真なの?」「これじゃ写真じゃなくて絵だね」なんてことも耳にした。
大成功じゃありませんか。
 私は「写真」という読みが非常に気になるのです。カメラで撮れば「真を写す」というので写真と言いたいのだろうけれど、それは間違いだ。カメラという表現媒体を使って私たちは「画像」を創り出しているのです。写真でもない、絵画でも、版画でも切り絵でもない。そうした範疇に縛られない、もっと自由な表現形式を手に入れたいと思って活動しているのです。
 趣味・道楽は人のためにやっているのではありません。まず自分が納得し、楽しみ面白がらなければ、人を楽しませることなんかできっこない。そうした想いが「夢の配達人展」の出品作品一点一点に横溢していることが板見氏を驚かせたのかもしれないと私は思っています。
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by yumehaitatu | 2010-11-06 23:58 | やぶにらみ | Comments(1)

Commented at 2010-12-18 22:44 x
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