やぶにらみ論法60 堀田義夫   

 「定年までの人、定年からの人」
 「歳を重ねるだけで人は老いない。理想を失うとき、人ははじめて老いる」と言ったのはサミエル・ウルマンだ。
 ところが、自分の生き様を反省するとき、「固有名詞」はすぐ出てこない、やっと「覚えたことも聞いたことも」すぐ忘れる。そんなとき「俺も惚けたなー」と思う。そうした悩みを抱えていたが、どうせ年をとるなら、「堂々たる老人になろう」と開き直ることにした。
 忘れることを怖れるより、どんどん新しいことに挑戦することの方が大切だ。そうした気持ちの持ち方で「定年までの人と定年からの人」では違いがでるのではないかと考えたからだ。
忘れるということは、自分にとって関心のないことまで覚えようとするから忘れるのだ。なんにでも関心を持てば、脳がパンクしてしまう。
 良寛さんが家にいると、近所の子どもたちが寄ってきて「良寛さん」と呼びかけると、その都度「ハァーイ」と返事をしたそうだ。このことは、頭の中でいろいろ考えることがあっても、与えられた刺激には素直に反応する。言い替えるといつも頭の中の風通しを良くしておくというエピソードである。
 いま応用講座で画像処理や作品の制作について仲間たちとともに学んでいる。そうした中に意欲的でなんでも習得したいという熱心な人もいる。
しかし、もう若くはないし脳の容量にも限界がある。講師の方の話しに素直に反応できるように、頭の中の風通しを良くすることだと思った。
また、画像処理を考えるとき『やりたいこと』から攻める。必死で機能を覚え、覚えた技法で作画しても作品にはならない。
 『やりたいこと』すなわち目的を決めることで、その目的にたどり着くために、コンピュータの操作や画像処理の技法を身につけることが技術習得の近道と考えた。
 ただし大切な注意点がある。それは一人で黙々と やっているだけでは、ただの自己満足に終わり脳への刺激にはならない。その点では応用講座は仲間 からの刺激が多いことがありがたい。
 また、脳への刺激を考えるなら「展覧会に出品する」「個展を開く」「画集を作る」「コンテストに応募する」「人に教える」などといったことは非常に有効な手段である。
 なにをやるにせよ、やったことを発表できる場や、人から評価される機会、人に見られていることを意識できる状況を作り出す。そのような状態の中でつねに脳の活性化を図り、そのための工夫をしている。
 いま、わたしは定年までの人で終わらず、定年からの人生を実り豊かなものにすることに成功したと思っている。このことは、写真を趣味とし、良い仲間たちに恵まれたからだと感謝している。

       「欣求の回路」
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by yumehaitatu | 2010-07-04 21:28 | やぶにらみ | Comments(1)

Commented at 2010-12-14 19:05 x
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