やぶにらみ23   

堀田 義夫の「やぶにらみ論法」(23)

~伝統に学ぶ~
 若い頃の話である。陶芸家浜田庄司氏(1894~1978)を取材する先生のお供で益子焼きの窯元へ行ったときのことだ。絵付けをしている老婆の手練に思わず「凄いもんだうまいねー」と感歎の言葉が口をついて出てしまった。老婆は仕事の手を休めることもなく「なにが凄いもんか!50年も60年もやっていれば誰だってこんなもんは簡単じゃ!」と吐き捨てるようにつぶやいた。
 私はほめたつもりが、老婆にとってはお世辞にしか受け取らなかったのだろう。その場に気まずい空気が漂ったことをいまでもはっきり覚えている。
 職人の技術を素人が見て「感心」するのは当たり前で、確かに「うまいねー」といっても、ほめたことにはならないということに気づかされた。この老婆がいうとおり長くやっていれば誰でも経験に応じて技術力は身に付くものなのだ。技術力に長けた作品が必ずしもよい作品かといえば、そういうことはない。確かな技術力の写真には感心するが、いっこうに感動を伴わないものもある。言い替えれば「感心」は技術力で獲得できるが「感動」は技術力がなくても得られることがある。
 博労の亀吉が借金の催促をした手紙がその表現力の強いことでよく例題に使われる。
「金一両 くすか くさぬか くさぬというなら亀がいく 亀がゆくにはただおかぬ 亀の腕には骨がある」
 脅迫状みたいな手紙で決して技術的に優れた文章ではない。いや、むしろ文章としては稚拙であるともいえる。だが、それでいてこの手紙には亀吉の気持ちが「感動的」に表現されていると思う。
 写真も同じ、うまくツールを使うための技術力を習得してもよい作品が生まれる保証はない。技術力は乏しくとも、達意(意図を十分に行き届かせる)をくみ取れる作品を作ることが大切なのだ。
 写真はアナログでもデジタルでも手法が違うだけで、喜怒哀楽や好悪。あるいは情動・気分・情操など「快い」「感じが悪い」といった心的過程の近似値を得るのはプリントのトーンである。だから写真のトーンはもっとも大切な要因になる。トーンを無視した作品に傑出した作品はない。
 また、色彩としてイエローは、明るさ・さわやか・希望。マゼンタは、妖艶・甘さ。シアンは、寂しさ・涼しさ・神秘。ブルーは、冷たさ・静寂・若さ。グリーンは、知性・平和・やすらぎ。レッドは、派手・活力・情熱。といった性格を秘めており、こうしたことがシャッターチャンスと共にうまく組み合わさったとき、感動的作品が生まれるのである。
 写真上達の道はこうした写真の持つ本来の伝統から学び取ることなのであろう。そこで当会では、PC分科会に技術力を習得するための基礎講座と、作品作りに重点を置いた応用講座を開講することにした。この両輪をうまく結合させて写真の質的向上を図ろうと思うのである。

by yumehaitatu | 2006-03-05 00:34 | やぶにらみ | Comments(0)

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